歴史

2011年1月 4日 (火)

抱負と言いつつ関係ない話

 

新年のホーフなんて言っても

トーフ屋に売ってるもんでもあるまいに、

そうホーフ(豊富)に思い付くもんではない。

 

明日がない病人にとっては、

いつ人生が終わっても悔いや

怨嗟の類を残したくはないものだ。

やれることをやり尽くすのみ。

 

とはいえ、当ブログ的には

去年一年、態度を保留してきた懸案事項があり

年内には道理道徳に即した解決を望みたいとは思う。

 

 

 

新年早々楽しくない話は要らんのだが、

昨日、たけし師匠の番組で仏教を取り上げていたせいか。

仏教徒として特に新しい発見はなかったのだが、ひとつだけ

「あぁ、そーゆーことだったのか」と納得したことがあった。

 

両親の実家も現在の居住地も浄土真宗が多く、

葬儀の際も特に注文を付けなければ真宗の坊さんが来る。

父親の葬儀の際、読経を聴いて「ひょっとして違うのでは」

なんて確認したらやっぱり真宗の坊さんだった。

 

父は曹洞宗、般若心経でなければならん。

坊さんに言ったら「ほんだらやめじゃ」と帰ってしまった。

言わなきゃ穏便に済んだものだが、そもそも最初に

葬儀屋に言っておかなかったこっちのミスである。

 

父方の実家だけなんでポツンと曹洞宗なのかと思っていたが

番組によると臨済宗、曹洞宗などの禅宗は

武家に流行ったものなのだそうな。

父の実家も武家だった。

 

達磨大師の像と般若の面が未だに我が家に掲げられてはいるが

自分自身は特に拘ってはいないし、その必要もないと思っている。

しいて言うなら法相宗だが、それとて

薫陶を受けた坊さんがそうだっただけ。

 

それにあの師匠、存在論や認識論など

哲学的命題に即して釈迦の教え、

というより理論を説いていたので

法相宗の教義ではなかったように思う。

 

 

 

抱負とは関係ない話になったので、ついでに雑学を一発。

仏像はギリシャ彫刻とゾロアスター教、仏教の

イイとこ取りして作られたのが起源だ(と思う)。

 

仏教は元々法輪を拝んでいたのだが、

インド北部にクシャーナ朝が起こると、

バクトリアのギリシャ人都市と接触した。

アレクサンドロス大王が遠征途上に造った都市だ。

 

そこでは古代ギリシャの神々像が

ペルシャのゾロアスター教の影響を受け

頭の後ろに後光が差す姿をしていた。

仏像もそっくりそれを取り入れた訳である。

 

さすがにお釈迦様や菩薩様は筋骨隆々とはならなかったが、

仁王様や不動明王などはなかなかのもんである。

ついでに連れてこられた毘沙門天など

インドの神々もまたしかり。

 

そういえば各地で行われる火祭りは

ゾロアスター教の影響と思われる。

まさに何でもあり状態。

日本の神々とも仲良くやってるのは当然なのかもね。

 

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2010年11月14日 (日)

上原美優さんと中国の話

 

特記すべきことに、

あのボケまくり上原美優さんが、なんと、

ボケを封印して切れるところを見せたっ!

 

もうアホやカスじゃとは言わせない、あ、いや

元々そこまで言う人はいなかった。申し訳ない。 

実際、池上さんの番組にも出演しているのだし、

大袈裟にわめき散らす程のことではないかもしれないね。

 

昨日の「たかじん胸いっぱい」でのことで、

中国をテーマにプチ「そこまで言って委員会」風。

尖閣問題についての美優さんの指摘は

「漁船は罠で喧嘩を売りに来た」

 

勝谷さんが喜びそうな意見だが

「当ってるかどうかはともかく自分の意見が入っている」

と先生方にも高評価。

政治的に微妙な問題は敢えてボケた方がいいこともあるけど

美優さんは正直のままでまだいいと思う。

 

 

しかしアレですわ。

「国」とは土地と人だろうけど、中国はその二つ、

必ずしも常に一致していた訳ではない。

だから混乱と混同が勘違い、あるいは意図的に行われる。

 

ロシアでは、未だに中国を「タタール」なんぞと呼ぶそうな。

タタールスタンの住人も中国人もびっくりの混同だが、

元々ロシア人は当方諸民族を十把ひと絡げに

「タタール」と呼んでいた。

 

モンゴル帝国時代を「タタールのくびき」と言い、

ブルガリアを建国したブガールも「タタール」と呼んでしまう。

言われた方は

「へ?わしらタタール言いまんのん?」てな感じだろうが、

ロシア帝国が大きくなり、支配下に入る過程で

ロシア呼称を受け入れたのが今のタタールスタンの人々だ。

 

大雑把にも程があるというものだが、

モンゴル帝国は中国も領有したから

地名的には中国と言えなくもない。

だが、自らタタールを名乗った人々は中国には住んでいなかった。

 

モンゴル高原東部に跋扈した猛々しい人々だが、

チンギス・ハンによって殲滅され、

地上から消滅してしまった。

そして名前だけが残ったのである。

 

チンギスのオッサンがタタールを攻めたのは金との盟約による。

オッサンはやがてその金も滅ぼすのだが、

アメリカのドキュメンタリーでは

「中国を滅ぼした」なんて説明がされる。

 

金は長城を超えて北宋を滅ぼした女真(満州)人の国だが、

中国北部を領有したから中国というのなら、

オッサンも既に内モンゴルを支配していた。

 

現中国政府が内モンゴルを「領土」と

言い張っているのを認めるとすると、

金(女真人)も中国、

オッサン(モンゴル人)も中国。

まだ生きていた南宋(漢人)も中国。

見渡す限り中国だらけで訳分からん。

 

だからと言って、その全てが「中国固有の領土」とはならない。

中国という名前の土地は中国人と称する漢民族だけではなく

多くの民族が住み、支配者を替えながら共存してきた。

中国=漢人の国ではない。

これがカンジン(肝心)だ。

 

 

さて、我に返って番組を振り返ると、

かつて尖閣に住んでいた日本人が中国漁民を救助したとかで

大正時代の中国政府(当時の中華民国)から送られた

感謝状の実物映像が流された。

 

「沖縄県尖閣」と達筆で明記してあるよろしね。

 

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2010年8月 9日 (月)

「龍馬伝」・外伝

閑話休題。

何故かと言うに、大河ドラマが佳境に達し、

描き方が気になる頃になってきたからだ。

体験談というものは驚きから大袈裟になりやすい。

当時の情報が偏っていたり勘違いや噂の類だったりしても、

修正されずに後世に伝わることも多い。

 

幕末となると二百年以上平和だった日本人は

ナポレオン戦争のように火打石銃を使った戦争は全く未経験。

火縄銃からいきなりパーカッションライフルになるのだから

これはもう浦島太郎状態である。

外国と実戦経験のある薩摩、長州は兎も角、

第二次長州征伐に出陣した幕軍諸藩は

戦い方さえ分からなかっただろう。

 

だもんで、大河ではないがNHKの歴史好きキャスターまで

「最新式連発銃!」などと語気を強めてナレーションしたりする。 

幕末当時、拳銃以外に実用的な連発銃といえば、

スペンサーとヘンリーしかないのだが、

どちらも大量に輸入された形跡はない。

長州征伐に出陣した幕軍諸藩の中には

時代遅れの滑腔銃を購入していたところもある。

旧式になった中古の在庫整理を押しつけられたのだろうが、

海外事情に疎い藩の失策だ。

 

亀山社中がグラバーから買い付けた「ミニエー銃」とは、

エンフィールド工廠製の先込めパーカッションライフルだ。

クロード・ミニエはフランス人だが、

オッサン考案の弾丸を使うのでミニエー銃と呼んだ。

鉛の弾丸の底に鉄の楔を打ち込んであり、

撃つと楔が食い込んで弾丸の幅が広がり、

ライフルの溝に食い込んで回転する。

 

従来の先込め銃では、溝に弾丸を食い込ませながら

銃身の奥まで弾丸を押し込むのはガッツとパワーが要り、

1分間に1発程度しか撃てなかった。

手っ取り早く済ませるには

木槌で込め矢を叩きながら入れる必要があった。

慣れれば1分間に3発撃てる滑腔銃の方がいいや

と軍が考えていたのはその為。

だが、弾丸の径を小さく出来るミニエー弾なら簡単という訳。

 

最初に実戦投入されたのは、まさに

ペリーが日本に来航した1853年、クリミア戦役でのこと。

第二次長州征伐の12年も前だ。

その間に、イチイチ楔を打ち込むのは面倒と考えたアメリカ人が

弾底にくぼみを設けて同じ効果が上がるよう改良した。

亀山社中が仕入れたのも多分、こっち。

 

南北戦争で南軍が使用したので売り上げ好調だったが

1865年時点では戦争は終了しており、

在庫はだぶついていたものと思われる。

戦争をきっかけに新発明が相次いだこともあって、

「ミニエー銃」は既に旧式化しつつあった。

現にイギリスは翌1866年に後装式のスナイダーを正式化する。

 

官軍もスナイダーを「スナイドル」と

オランダ訛りで呼びながら使用するが

これはイモトもびっくりの珍銃である。

大英帝国が抱える膨大な前装銃の在庫を活用しようとした為

一から設計したら決してそうはならないであろう

そう断言できる無理矢理感が漂っている。

側面の撃鉄を生かそうと撃芯を斜めに装着したあたり、

苦労の後、というより投げやり感さえ感じさせる。

 

画期的だったのは銃ではなく、使用する実包。

ボクサータイプのセンターファイア金属カートリッジである。

ボクサータイプはアメリカで考案されたもので

ヨーロッパ製のヴェルダンタイプとの違いは

アンピルがあるかどうかだが、細かいことはどうでも良い。

硝酸銀の発火体を底部中央に置いたもので

薬莢の強度を高め、発射薬の量を多く出来る。

 

銃本体としてはプロイセンのドライゼの方が進歩的だった。

会津藩が大量に買い付けたものの

官軍に荷を押さえられてしまった。

だが、こちらはあまりにも早く開発されてしまった為、

幕末時点ではまだ紙薬莢だった。

折角だからと官軍も使用するものの不評だったのはその為だ。

ドライゼをパクッたシャスポーも

フランスから幕府に無償提供されるが、

こっちの紙薬莢はさらに湿気に弱い弱点があり、

湿気の多い日本では、ほとんど使用されなかったらしい。

 

最も金属薬莢に適合するドライゼ方式が紙薬莢で、

泥縄式に金属カートリッジに合わせたスナイダーが好評だった。

ジェットエンジンを考案しても高熱に耐える素材と

安全な燃料がなければ爆発してしまうのと同じ。

性急な製品化が必ずしもいいとは限らない。

ただし、ドライゼの方式は弟子のモーゼルによって完成され、

今日でも競技銃の全てと猟銃などに使われているが、

珍銃スナイダーは後世に何の影響も残さなかった。

 

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2010年4月 9日 (金)

信長が生きていたら?

馬鹿馬鹿しいことは馬鹿馬鹿しいから面白い。

無意味で結構。娯楽に意味を求めることこそ無意味。

ということで、「歴史にはない!」と断言されているIFを

敢えてやってみようという特番があった。

 

特に「信長が生きていたら」という想定には、

「大英帝国に勝ってアジアの覇権を握る」とか

「産業革命は日本から起こる」とか、

羽目の外し方も半端ではなかった。

 

だが、瀬戸内で毛利水軍との合戦に使われた

装甲安宅船を「琵琶湖に浮かべていた」と言ったり、

武田の三倍以上の軍勢だった長篠合戦を

「わずか三千で数万の武田軍と戦った」と言ってみたり、

事実誤認の発言もあった。

 

お遊びだからこそ、事実は厳密に踏まえたい。

それが推理の面白さだ。

ということで、当ブログなりの信長編を考えてみた。

 

信長は単なる破壊者ではない。

楽市楽座を興したが、旧来の座、市も保護している。

流通していた雑多な貨幣の交換比率を定めたが、

統一貨幣の制定は急がなかった。

 

これは非征服地域との交易を阻害しない為と思われる。

決して性急に改革を急いではいない。

また、後の徳川幕府とは反対に道路網の整備に力を注いだ。

「天下布武」の背景には経済振興という目的があったのだ。

 

この辺が、秀吉と違うところ。

戦争以外に政治目的を見出せなかった秀吉は

国内を平定すると即、国外に戦争を広げたが、

信長なら国内経済の立て直しを優先しただろう。

 

支配地が広がれば、道路網だけでは追いつかない。

当然、海運に目を向けたと思われる。

勿論、欧州勢を視野に置いた海外交易にそれは広がる。

シーレーン確保の為の海軍力整備も欧州に倣うだろう。

 

だが、遠洋航海の為の造船、航海術の習得は容易ではない。

欧州のどこかと協定を結ぶ必要があるが、

徳川同様、信長もスペインの侵略計画に気付いただろう。

したがって、やはりオランダをパートナーに選んだと思われる。

 

政策の最重要課題が経済振興にあるとすると、

朝鮮出兵は信長政権下ではなかったと考える。

大陸との交易を進めつつ、情勢を探ることは当然ある。

ならば、後金(後の清)の台頭を見逃すはずがない。

 

後金と組んで明を圧迫し、

沿岸の港湾都市に権益を確保したかもしれない。

足利義昭に対し、地位や肩書より大津や堺など

流通拠点の支配権を求めたのと同じ手法だ。

 

モンゴルと連合した満州八旗軍と平原地帯で闘うなど

無謀、かつ無益である。

だが、騎馬民族の彼らは海に興味を持つことはなかった。

一方、信長の眼は地球の裏側まで見通している。

中国大陸での覇権獲得に労力を費やす愚を犯したとは思えない。

 

そんなことより、欧州勢より強固な足場を中国に築き、

交易をさらに西へと進めていっただろう。

途中でスペイン、ポルトガルと衝突するかもしれない。

オランダから情報を得、あるいは連携し、

地の利を生かして勝利する可能性は高い。

 

こうして日本はアジアの窓口として

貿易国としての地位を確立する。

近代国家への脱皮も産業革命も

当然、アジアで最も早かっただろうが、

それは信長死後のこと。

 

信長生存中に達成できるのは、

この辺りまでではなかろうか。

勿論、妄想だが、根拠のある妄想である。

 

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2010年3月23日 (火)

人のつながりが創り出す何か

広漠とした原野に積まれた石がある。

荒々しい自然の中に暮らした騎馬民族が残したものだ。

厳しい環境の中では、生活に必要な全ては得られず、

襲撃による略奪に依らねばならなかった。

そこには食料や衣服はもとより、労働力や女性まで含まれた。

 

「天高く馬肥ゆる秋」

秋になると騎馬民族がやってくる。

中国の人々はそう言って襲撃に備えた。

襲撃に行く人々は一人一個ずつの石を積み上げて出発した。

無事に戻ってきたら、一個ずつ石を拾う。

残された石は、戻ってこなかった者のものだ。

 

文字を持たない人々だったから、

石ころの主がなんという名でどんな人生を歩んだのか、

知る由もない。

全ては一つひとつの石ころに秘められている。

 

しかし、彼らが残したものは石ころだけではない。

荒野を離れて定住した彼らは多くの国を作った。

清、ムガール帝国、サファビー朝ペルシャ、オスマン帝国・・・

古くはクシャーナ朝インドだが、

その影響は日本にも色濃く残っている。

 

アレクサンドロスが遠征の途上に残した

ギリシャ人の町でヘレニズムが生まれ、

クシャーナによって仏教と合体した。

仏像に後光が差し、火祭りが行われるのはその為だ。

彫像はギリシャ、火はゾロアスターの神である。

 

ギリシャ彫刻とペルシャの神を最初に結び付けたのは誰か

そんなこと誰も知らないし分からない。

それを真似して仏像を作ったのが誰なのかも。

無名の人々のつながりが生み出したものなのだ。

石ころの山と同じである。

 

電気を作る人がいて保守管理する人がいる

だから夜明るく過ごすことができる。

それが誰かは知らないし、歴史に名を残すこともない。

だが、結果として生み出されたものには

きっと価値のあるものがある。

 

機械や建築の優れた設計図も偉大な文学や楽譜も

光なしには生み出されなかったかもしれない。

それぞれが個別に存在するものではないとしたら

無名の個人の集まりが、つまり、

石ころの山こそ歴史そのものだ。

 

たくさんあるブログも同じこと。

ひっそりと個人の引出しにしまわれるものではないから

誰かに何かの影響を及ぼすこともあるだろう。

石ころほど長く後世に残らないだろうが、

少なくとも情報量はそれより多い。

 

個々のブログそのものより、

それらが集まって創り出す何かに価値があるとも考えられる。

下らない個人ブログでも、

ティッシュペーパーくらいの役割は果たすに違いないし、

それで良いではないかと思う。

 

天才ではないのだから、

不滅の名作を残そうなどとと力む必要はない。

人のつながりは無意識のうちに有形無形の影響を後に残す。

当ブログも、石ころの一つで充分である。

 

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2010年2月 8日 (月)

マーリン

ネット…ではなく、CSサーフィンをしていたら

変なのを見つけた。

 

「プレミア放送」と銘打ってタイトルは「マーリン」。

ロールスロイスのエンジン(飛行機用)ではなさそうだ。

ってことは、あの元祖魔法使いのマーリンか。

大御所である。

 

では、その魔法界の大師匠をどう描くのかというと、

なんと少年マーリンが糞ガキ・アーサーと出会い、

喧嘩しながら彼を助けるというどえらくくだけた物語だ。

しかも、マニュアル本などを見ながら術をかけている。

大師匠にも修業時代があったのだ。

 

ハリーポッターもガキだから、

のけぞるほど驚くことでもないかもしれないが。

 

アーサー王の物語は

9世紀、12世紀、15世紀に主なものが書かれていて、

それぞれがそれぞれの時代を反映している。

時代設定をどこに置くかが常に問題となるのだが、

この作品では12世紀頃にしたようだ。

 

15世紀に設定した映画もあったが、

あの時代の全身甲冑を再現するのは予算的に大変だし、

役者も動きにくい。

12世紀なら鎖帷子を被ればよく、プラスティックを使えば、

乗馬シーンで馬が重さに音を上げることもない。

 

となると紙のマニュアル本があるのはちとおかしいが、

羊皮紙を模して作るのも大変だし、まぁいい。

 

アーサーのモデルとして有力視されている

アウレりアヌスらは5世紀の人だが、

凄い刀(エクスカリバー?)を振るって

勝った相手はサクソン人なので、

サクソンの子孫としては煙たかろう。

 

ロケに使われている城が、何故かどう見てもフランスなのだが

アーサー終焉の地とされているアヴァロンはフランスの地名。

こじつければ辻褄が合わなくもない。

もっともアヴァロンで死んだブリトゥンの王

(9世紀の「烈王伝」では「アーサー」と記されている)は

5世紀にローマの呼び掛けに応じて海を渡ったのだが・・・

まぁいい。

 

マーリンのルーツはドルイドとみなされているからもっと古い。

弥生時代だ。

 

架空の国の架空の人物のお話なのだから、自由度が高い。

日本でやろうとすると、古事記とか日本書記あたりに

題材を求めなければならなくなる。

聖徳太子以降には、

あそこまで自由に描ける人材がいないのは羨ましい気もする。

 

取り敢えず、大師匠修業時代の物語、

3月8日からLaLaTVで始まるようだ。

 

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2010年1月29日 (金)

WHAT? ワード/フレーズ拾い読み

月末になったので、毎度飽きもせず

当ブログへの検索ワ-ド/フレーズを整理する。

中には意味不明のものや笑えるもの、あるいは

「えっ!そうなの?」的なものが散見される。

毎月気になっていたことでもあるので、

まずはそれについて一席。

 

一番「?」だったのが「アッティラ大王 明治」なるそれ。

アッティラ大王は5世紀の人なので、

「明治」が年号だとすると全く噛み合わない。

明治時代にアッティラ大王の名を冠した何かが流行ったのか?

調べてみたが、よく分からなかった。

 

フン族が漢の武帝とも闘った「匈奴」と同一民族とする説は、

確たる証拠はないものの、根強く信じられている。

騎馬民族の例に倣い、ロシア、ヨーロッパばかりか

ササン朝ペルシャにもちょっかいを出すなど、

行動半径が広く、腕っ節が強いからだろう。

 

だが、中国、ローマ帝国、ペルシャと明治のつながりは不明だ。

解明できるならしたいものである。

蛇足だが、もしも匈奴=フンとすると、トルコ系であろう。

残された彫像もそれらしく見えるし。

 

明らかに勘違いと思われるのは「ヴァイキング滅亡の謎」。

ヴァイキングの一派、デーン人が住み着いた土地は、

今も「デンマーク」を名乗り、

公園にはヴァイキングの彫像がある。

イギリスの礎を築いたウィリアムも

フランスに定住したヴァイキングだ。

 

滅亡したのではなく、定住しておとなしくなったのだが、

600年もの間暴れまわったのだから、

「消滅した」と思われても仕方ないかも。

 

笑えたのは「眞鍋かをり 年中短パン」。

確かにそうなのだけど ・ ・ ・ 

まぁ、いいではないか。

年中明るく元気なのは眞鍋さんらしさだし、

何より「超美脚!」なのだから。

 

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2009年12月26日 (土)

歴史雑感~JINではなく坂の上

眞鍋さんが観ていたというJIN。

裏番組はこれまた愛媛つながりの「坂の上の雲」。

「坂の上」関連サイトを見ていたら変な記述があった。

「騎兵には胸甲騎兵、軽騎兵、竜騎兵の三種類がある」

なんじゃそら?

 

騎兵には重騎兵と軽騎兵しかない。

それも兵隊の体格の差、図体がデカイか小さいかだけの話。

わざわざ区別する必要もなく、現にアメリカにはそんなのない。

秋山好古の時代にもそんな区別はなかったはず。

阿部寛さん、馬に乗るにはデカ過ぎるし・・・。

 

どうやらドイツから直輸入された文献が出展らしい。

普仏戦争でフランスがプロイセンに負けると、

日本の陸軍も負けたフランスから勝ったドイツにシフトする。

その頃に導入された資料だろう。

プロイセンには白胸甲騎兵なんて派手なのがいた。

 

だが、胸甲騎兵はナポレオンの歴史趣味が生み出したものだ。

ぴかぴかのヘルメットに胸当てを着け、マントを翻す、

ジュリウス・ガイウス・カエサル(シーザー)みたいなファッション。

胸甲が弾丸を跳ね返す訳ではないので、カッコつけただけである。

エンゲルスは「馬鹿馬鹿しい」と切り捨てている。

 

ヨーロッパで皇帝と言えばローマ帝国に由来する。

西ローマ→神聖ローマ→ドイツ、オーストリア帝国の流れと

東ローマ→ロシア皇帝の流れ。

ナポレオンもこれに便乗して、古代ローマ帝国同様

「皇帝の鷲」を軍に持たせたりした。

 

こういう馬鹿馬鹿しいことがヨーロッパでは盛んに行われた。

軍隊は貴族の次男坊、三男坊のいい就職先だったので、

カッコいい軍服が必要だったのだろう。

舞踏会でモテる為に。

 

国産自動車の名前にもなっているランサー(槍騎兵)

はポーランドの、ハッサー(驃騎兵)はハンガリーの、

それぞれ伝統的な衣装を「カッコいい」と真似たもの。

竜騎兵の由来には諸説あるが、

独自の用兵思想や任務がある訳ではない。

 

槍騎兵は槍を持ち、竜騎兵は鉄砲を持つ

という違いがないではないが、

時代が進むと鉄砲を持たない騎兵はいなくなったし

槍を使うのも槍騎兵だけではない。

 

軍拡に興味がなかった19世紀のアメリカでは、

当然、こんな妙な区別はなかった。

先住民の弓矢に対抗してリボルバ-を愛用したので

「竜騎兵」を名乗ったモノ好きがいたくらいである。

 

だが、幕末から明治初期の日本では、

限られた情報から生まれた錯誤が

そのまま定着してしまうことが多々あった。

それが未だにそのままになっていることも珍しくない。

 

博物館に幕末に使われた銃が展示してあり、

「ゲベール銃」などと説明されている。

ゲベールとはドイツ語で銃のことなので、

「カー自動車」と言ってるのと同じである。

 

見たところ、明らかにプロイセンで使われたドライゼライフル。

ドライゼはモーゼルの師匠で、オリンピックで使われる

競技銃の全てがこのメカニズムの派生型だ。

エライ人なのである。

 

ペリーが来航した1853年(クリミア戦争)から明治初期、

この時期は銃砲史最大の変革期だった。

売れなくなった旧式の在庫をさばこうとする悪徳業者から

なかなか売れない新型の売り込みを図るベンチャーまで

いろんな業者が日本に売り込みにきた。

 

最近、佐賀県で発見されたスペンサーライフルは後者で、

初の連発式実用大型ライフルだったものの、

より扱いやすいウィンチェスターに押されて姿を消した。

貴重品である。

 

各藩が騙されたり掘り出し物を見つけたりしながら

それぞれ勝手に雑多な買い物をした。

その混乱が今でも整理されずに残っている。

博物館や歴史書の記述も、

各論はともかく総論としては整理不十分だ。

 

演技力ではカバーしきれないから仕方ないけど

阿部寛さん、絶対、軽騎兵には見えないし。

ただし、演技も重厚だが。

  

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2009年11月13日 (金)

黒髪眞鍋さんと欧州伝説

かねてより切望していた眞鍋さんの旅行先、

イギリス、フランスに落ち着いたらしい。

普通に芸能人っぽくて、むしろ意外。

来年の正月は長期の休みが取れるという。

海外では黒髪で日本をアピールしたいそうなので、

お正月眞鍋さんは黒髪か。

 

イギリスと言えば、昨今、魔法使いが登場する

イギリス発の物語が映画や本で売れている。

元を辿ると、ブリトゥン人が信仰したドルイドにあるらしい。

後からやってきたローマ人やサクソン人には

これがいかにも神秘的に映ったらしく、

征服された後、地下(比喩的な意味ではなく、ホントの地中)

に潜って魔法使いになったというのだ。

アーサー王やマーリンの物語である。

 

アーサー王のモデルが誰だったのかは永遠の謎だが、

「アーサー王の死」というタイトルからして、征服された側、

ケルトの王であろうとする説が有力だ。

それでは、アーサー王に追われながら、

最後の危機にフランスから救援に駆け付ける

忠臣にして最強の騎士、サー・ランスロットは?

 

フランスから来た強い奴、

アーサー王を倒した敵を打ち破る

などからしてノルマンディー公ギヨームと考えると辻褄が合う。

「時代が合わんではないか」と我ながら思うが、

アーサー王伝説は明らかに後世加筆されている。

後半、唐突にキリスト教の聖杯物語が登場するのはその表れ。

テンプル騎士団にも神秘主義的傾向があったので、

伝説と結び付けやすかったのではあるまいか。

 

辻褄の合わないことは古い物語にはつきもの。

モーゼの出エジプトもエジプトの記録にはない。

クリームヒルト姫の復讐劇は、

身分違いの恋人を兄に処刑されたローマ皇帝の妹が

「兄を倒してくれたら結婚してやる」と

強面のアッティラ大王に持ちかけたという

どうやら本当らしい話がベースだ。

 

だが、舞台は

ローマ時代ではなくブルグントに置き換えられている。

東に国境を接していたのは

やたら腕っ節の強いモンゴル系騎馬民族アバル。

だが、物語で姫が輿入れした先は

既に同化・消滅していたはずのフン族である。

アバルもフン族がローマに割譲させた土地

(フンガリア=ハンガリー)にたむろしていたし、

どっちもアジア系なので、「まぁいいや」とか思ったのだろうか?

 

アバルも謎に満ちた人々である。

モンゴル人は他にも中東や中央アジア、インドなど

至る所に国を作っては去っていった。

古いバイキングの墓地から発掘された骨からも

モンゴル系のDNAが発見されている。

土着性が希薄で、どこにでも現れる。

どこに行っても喧嘩が強い。

 

あの時代に黒髪眞鍋さんがフランスに現れたら、

現地の人々、泡食って逃げ出したかもしれないね。
 

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2009年10月 6日 (火)

チュニジアとバチカンの軽い物語

チュニジアに行ってきた(原宿のレストラン)と言いつつ、

バチカンにも行きたいという眞鍋さん。

おぬしはバンダル人か ・ ・ ・ 。

 

ガリアを縦断しピレネーを越え、

イベリア半島に辿り着いたゲルマンの一部族。

そこで造船を覚えてアフリカに渡り、

カルタゴの総督に雇ってもらえるはずだったのに、

反古にされて逆上、カルタゴを征服してしまった。

 

勢いに乗ってイタリア半島に上陸、ローマを目指すものの、

教皇に説得されて引き返したとか。

東西ローマ帝国を恫喝していた

腕自慢のアッティラ親爺(大王とも言う)も

説得されて引き返したと言う。

 

バチカンの大将、よっぽど口が上手かったと見える。

古代ローマの島田紳助か?

真偽の程はさておき、

チュニジアとバチカンの繋がりといえばそんなところか。

それ以降はあまり縁がなくなる。

 

怖い女房(テオドラ)にケツを叩かれた

ユスティニアヌスによってバンダルは滅亡するし、

台頭してきたウマイヤ朝によってカルタゴは奪われる。

ユスティニアヌスは東方正教会、

ウマイヤはイスラムだからバチカンとは無縁。

 

「裏にある歴史や重みを知らなければ

感動しないものもありますよね」

とかなんとか眞鍋さん言っているので、

歴史の重みを軽~く振り返ってみた。

 

しかし、水タバコはずっと後、

オスマン帝国時代に入ってきたのではないかと思う。

推測だけど。

例によって、書物を手に取る握力がないので全て記憶。

細部は違ってるかもしれないのであしからず。

 

ところで、

「野性味がある」「生でも食う」

なんてお昼に言われてた眞鍋さんだけど、

家族の一員でもあるウサギの仲間は食えなかった

 ・ ・ ・ 眞鍋さんらしいです。
  

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