日記・コラム・つぶやき

2021年10月17日 (日)

予定が狂って・・・

  

上げるつもりだった眞鍋さん記事が書けなくなってしもた。

といっても顔以外特に悪くなった訳ではない。

(顔が悪いのも生まれつきだが)

ヘルパーさんの都合で思わぬ時間を食ってしまった

だけなのだが・・・だけとは言えないこの身体。

 

まともに動くのは左の親指と右の指三本だけなので

ブログ更新にも時間がかかる。

文字打ちだけならまだいいけど

やっぱり眞鍋さんの笑顔は欠かせない。

その為に続けてるようなもんだ。

 

後、長時間、体を起こしていられない。

こうしてる間にもほぼ限界。

明日には何とかするぞ。

なので競馬記事は水曜か木曜にずれ込んでしまうが

御容赦願うしかおまへんわ。

  

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2021年8月 9日 (月)

色々ありまして・・・

  

思うようにブログ更新できず焦燥の日々。

短文のツイートならできるのだが・・・

自力で画像アップするのはもう無理かもしれない。

それにこの御時世だから無理は禁物。

 

感染者が一日1万5千人ってやっぱり驚くよ。

ワクチン接種しても感染するし人にもうつす。

ワクチンに感染拡大を止める力はない。

意外に知らない人がいるのにまた驚く。

 

死者数は減っているので重症化を防ぐ、

という目的はある程度は達成されているように見える。

だが副反応による死者は減っていないようだ。

 

決してワクチン否定派ではないのだが、

本来なら5年はかかる治験を素っ飛ばし

応急的に使われているファイザーやモデルナ等

mRNAとか言う遺伝子操作ワクチン、

本来の免疫力や遺伝子に与える長期的影響は

全く検証されていない。

 

そもそもワクチンだけに頼ろうとするのが間違いだし

現実に感染は拡大する一方だ。

新世代ワクチンや治療薬開発は当然として

今使える手は全て試すべきではないか。

ってことで当方はイベルメクチンを入手した。

  

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2021年1月30日 (土)

未だ落ち着かず

 

慌ただしかった一月もあと一日。

昨日だけで五人とお別れ一人と再会。

来週は四人と再会する。

 

なんでかというと、何と当方、オッサンではなくなるのだ。

明日からオバハン・・・な訳はないが

何とジジイになってしまったのだ。

ジジイだぜジジイ。いや~この歳まで生きるとは思わなんだ。

 

介護保険が始まるのであれやコレ、

できたことが有料になったり何かと面倒。

あれも有料これも有料と言われても収入が増える訳じゃなし

対策を取らねばならない。

 

朗報は一本木の姫の時間数が増えたこと。

誠実一路の姫は介護業界でも引く手数多。

利用者間での取り合いになっているのでラッキーである。

ただケアマネが凄いアホなので

まだまだひと悶着ふた悶着ありそうである。

 

ジジイでもオッサンの心意気を忘れずに乗り切るしかあるまい。

  

 

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2021年1月 3日 (日)

何故に行列の古代神社

 

さて年末は何かと忙しく、

といっても健康体ならどうってことない程度だが、

この病気は少し動いただけでエネルギーを使い切ってしまう。

てことで熱戦だった有馬記念の記事も書けずじまい。残念。

 

それでも元日は一本木の姫のお蔭で初詣。

行くのは起源不祥の古代社、沢良宜神社である。

近隣で縄文の文様が刻まれた最古の銅鐸が発掘されており、

同神社が祀る神も銅の神。

ルーツを辿れば2400年近く遡る可能性もある。

アレクサンドロス大王が生まれたか生まれてないかの時代だ。

 

昨年も一本木の姫と参拝したが、人影はまばら、

っていうか当方を含め4人だけだった。

社務所もないしお守りも売ってない無人の社だしね。

ところが今年は長蛇の列ができているではないか。

どーゆーこっちゃ

急に人気が出る訳ないし、混雑する有名神社を避けたのだろう。

感染爆発中だし。

 

だが、行列ができている拝殿には賽銭箱はない。

あるのは行列の後ろ、片隅にある小さな八幡社だが皆素通りしてる。

ふっふっふ調度良いではないか。

一本木家は平安から続く部門の家柄。

一本木は勿論仮名で

本名を明かせば「えっあの?」とすぐばれてしまう。

八幡宮は本来神仏習合でもあるし

南無八幡大菩薩と唱えれば御旗盾無も納得されるであろう。

 

ということで行列には並ばず無事参拝を終了した。

 

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2020年11月12日 (木)

正義の味方は一本木

  

さてテレビ問題の続き。

困っている利用者を助けようともせず、

何とかしようとする良心的なヘルパーさんに

「やめろやめろ」「そんなことするな」と圧力をかける

悪の権化ケア21に代わり登場したのは正義の味方、

アースサポートの一本木(仮名)の姫である。

 

「ポイントカードの番号は?」「住所変わってまんな」

「へてからにお値段の方は・・・へ?よろしおまっか」

等々のやり取りを遅滞なくてきぱきとこなし電話注文完了。

ヘルパーさんのいる時間でないと受け取りができないので

配達の時間予約は必須だが、一週間先まで予約は埋まっていた。

なので暫くはテレビなしである。

 

とはいえ、やはり正義の味方は頼もしい。

決して人当たりの良いタイプではなく、

礼儀正し過ぎる言葉遣いはワシら下々の民百姓には違和感もあるが

泣く子も黙る名門名家の姫なので仕方がない。

その実、定規で引いた直線の様に真っ直ぐ真正直で

曲がったことは大嫌い。

何事も全力投球全力疾走、一生懸命だ。

「手抜き」「テキトー」「まぁボチボチいきまひょ」

などという言葉は彼女の辞書にはない。

その一途なまでのひたむきさに胸打たれるのは当方だけではない。

姫の世話になった人々は一様に感謝と称賛を惜しまない。

当方は三回泣いた。

御旗盾無も御照覧あれ!!

 

ちなみに

「ニッポン行きたい人応援団」に登場したポーランドの弓道女子

鍛錬の一環として左手で箸を使っていたが

一本木姫も箸は左手、筆は右手である。

流石、武門の誉れも高い家柄の姫だけのことはある。

と思っていたのだが

確かに御両親は武芸に秀でておられるらしいが、

姫は茶道の方だとか。

茶道では両刀遣いはむしろ邪魔だそうな。

分からんもんである。

 

当方、介護事業所との関わりは母の介護の時からなので

もう三十年以上になる。

その上で考える事業所選びのポイントは以下の三つ。

①介護士の質

②事業所の体質

③制度上の制約

一本木姫の素晴らしさは主に①だがケア21の問題は②。

ケア21にも素晴らしい介護士さんは実在するが、

②の問題は突破できない。

よって特に重度の方の場合、

ケア21に全面依存するのは危険である。

前記事で述べたように、

軽症が重症化、助かる命も助からない可能性があるからだ。

てことで今回はこの辺で

  

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2020年10月17日 (土)

さて一大事

  

四月に入院したばかりというのにまたか、なのだが、

ある意味今度の方が大事。

当ブログが容量満杯になってしまったのだ。

容量を増やせばいいだけの話だが、クレカにしか対応していない。

実は7,8年前にクレカをやめてしまっていたのだ。

 

自分の足で歩けなくなると買い物もほとんど人任せ。

信用しない訳ではないが悲しい事実として

過去50数名のヘルパーさんの中に

わずか三人とは言えドロボーさんがいたのだ。

それも大金かっぱらってトンヅラするのではなく、

目立たぬ様に繰り返しかすめ取るので発見するのも面倒だ。

 

なのでいつもニコニコ現金払い。

レシート添付の帳簿をつけ、

異なる事業所の人で相互にチェックし合う体制にした次第。

 

とはいえもはやそうもいっていられない。

とはいえ一歩も歩けぬ身故即日解決ともいかない。

光浦靖子さんを迎えての明日の「中尾家ごはん」は

画像を多く使いたいので後日にするしかない

とはいえ秋華賞はそうもいくまい。

とはいえ、いや、苦渋の決断、

過去記事の画像を消して容量を確保するとしよう。

  

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2020年5月10日 (日)

地震雷火事オッサン

  

地震雷は怖いが所詮天災。

天才であるワシには無関係じゃワハハハ(何言うとんねん)。

だが、人災である火事は容赦なくオッサンを襲うのである。

家財消失一家離散、生きる糧を求めて諸国流浪の旅に出た

人呼んで短足の無一文次郎とはあっしのことでござんす。

(なんのこっちゃ)

  

火事といってもトースターが突如発火しただけなので、

本来ならコップの水をかければ終了なのだが、

いかんせんベッドの上から一歩も動けぬ身故、

緊急通報装置と119を頼むばかり。

消防の精鋭が到着した時には

既にトースターは燃え尽きていたのだが

ベッドに座ったまま動けなかったオッサンは膝に火傷を負った。

 

それ自体は大したことなかったのだが、

一応火事ということで警察、消防の捜査が入り、

トースター炎上の原因を解明すべく科学捜査隊も入った

・・・かどうかは知らん。

ただ、とにかく家に戻れなくなってしまった。

煙とすすで汚れた室内の清掃も人に頼むしかなく、

結局二週間以上も病院に長逗留することになってしもうたがな。

 

その病院も入院理由が火傷だったこともあるのだろうけど、

オッサンのような難病患者はほとんど身動きできない環境。

PCを持ち込んでも操作可能な体勢が取れなかった。

おまけにいくら言っても常備薬を処方してもらえず

別の持病が悪化。

病院で悪化した病気を退院して治すという

華麗なる本末転倒を実施中である。

 

しかし取り敢えず自宅復帰は果たしたので

おいおい元のペースに戻してゆきたいと目論んでいる。

  

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2019年12月27日 (金)

初詣は古代神社に

 

オッサンも走る師走である。

オッサンだが車椅子の当方は走れないが、しかし、

新年を迎えたら久し振りに初詣に行ってやろうと企図している。

だが、車椅子ゆえ雑踏は避けたいし、

腕が上がらないので参拝の仕方も工夫せねばならない。

 

20年ほど前からか参拝の作法として

二礼二拍手一礼を推す動きが強まっているようだが、

あれは玉串奉納の際の神職の所作であって

参拝の作法ではない。

玉串を奉納しない一般参拝者は挨拶だけで終わってしまう。

「毎度おおきに、ほなさいなら」「何しに来たんや」

てなもんである。

  

ほとんどの参拝者が

二拍手に続いて合掌祈願しているのは正しい。

明治以前は合掌祈願だけだった。

ただし、神前で突っ立ったままでは畏れ多いということか

膝を折って合掌祈願してたようである(浮世絵に描いてある)。

 

二礼二拍手一礼を参拝者に強要したのは明治の政治家。

日本の伝統とは関係なく

政治家の都合ででっち上げられた国家神道の一環だ。

『論語』のパクリに「天皇の為に死ね」

と付け加えたような代物で

80年足らずの期間、ほぼ三分の一を戦争に費やし、

挙句の果てに国土を焼け野原にしてしまったのだから

継承すべきものではない。

 

神社信仰は氏神信仰が始まり。

山と森に覆われ地震や台風、火山噴火など

自然災害の多い土地でおのずと生まれた自然信仰であり

天皇制より古い。

山や古木、湧き水や滝など自然そのものを御神体とし

鳥居と祠しかないのが元々の形である

(拝殿や本殿建設が盛んになるのは13世紀以降)。

 

教義、経典もなく預言者や聖人もおらず

人的権威とは本来無関係。

むしろ民を苦しめる権力者には大魔神の怒りが炸裂して・・・

あ、いや大魔神は関係なかったな。

ただ明治以前は京町衆など一部を除いて

庶民の大部分は天皇の存在も知らなかった。

天皇が最高神官というのは宮廷神道の話。

明治以前は現人神でもなく天皇自身が千年以上神仏習合だった。

 

当家に近い某神社は弥生遺跡群の中にあり祭神は銅の神。

これ自体が既に珍しいのだが、

周辺の遺跡からは銅鐸なども発見されている。

神社の起源は定かではないが銅鐸作りに関係していたとすると

卑弥呼以前(卑弥呼の時代は銅鏡がメインになる)。

1800年は遡ることになろうか。

文字もなかったし

テンノーという漢字音読みの称号があるはずもない時代である。

 

鎮守の森は深く参道は長い。

神社に隣接して走る道路はこの区間に信号三つ。

だが社務所はなく、普段はひっそりとしている。

正月はさてどうなっているのだろう。

ということで、初詣はここに決定。

古代の作法がどうだったのか分からないので

そこんとこはそれらしくやるとしよう。

  

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2019年10月21日 (月)

倒れた

  

一日倒れていたので何もできず(飯も食っとらん)。

救急車を呼ぶか迷ったのだが、

努力呼吸が可能だったので朝まで粘る。

次に来るのは発熱だが、

体を横に倒すと呼吸がし難いので暖房を入れた。

 

身体が自由に動かないので

脊髄反応や条件反射的動きはできない。

思考し、手順と段取りを整えてから

電動ベッドと体の動かせる部分を動かせる範囲で動かすのだ。

この病気の人で認知症を患う人はいないのではないか。

 

夕方になりようやく熱もひと段落だが、

まだ食事ができる状態ではないな。

と思ったら眞鍋かをりさんも喘息とな。

そういうお付き合いは要らないのでお互い早く治しましょうね。

  

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2019年10月11日 (金)

巨大台風接近中

  

さてどうも楽しい記事を書いている場合ではなさそうだ。

昨年の21号台風で数十年ぶりに停電を経験したが

接近中の台風をそれよりはるかにデカい。

 

電動ベッドが動かないと何もできなくなってしまう当方だが、

幸いPC操作中のポジションだったので

バッテリーにより動き続けるPCで

外部との連絡も途切れることなく済んだ。

それ故、数日にわたって停電が続くという状況はぞっとするのだが

実際にそれが起こった千葉を再び巨大台風が襲うことになりそう。

 

当方と同じ病気の人は全国に400人程度だが、似たような症状、

例えばALSや老衰の方などは多い。

電動ベッドどころか人工呼吸器が動かなくなったら命にかかわる。

そうした人々に触れた報道がないのは奇怪だが

動ける人が自力で何とかすれば良いと思っている人もいるらしい。

そうでない人が多数派であると信じたい。

 

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