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2019年12月27日 (金)

初詣は古代神社に

 

オッサンも走る師走である。

オッサンだが車椅子の当方は走れないが、しかし、

新年を迎えたら久し振りに初詣に行ってやろうと企図している。

だが、車椅子ゆえ雑踏は避けたいし、

腕が上がらないので参拝の仕方も工夫せねばならない。

 

20年ほど前からか参拝の作法として

二礼二拍手一礼を推す動きが強まっているようだが、

あれは玉串奉納の際の神職の所作であって

参拝の作法ではない。

玉串を奉納しない一般参拝者は挨拶だけで終わってしまう。

「毎度おおきに、ほなさいなら」「何しに来たんや」

てなもんである。

  

ほとんどの参拝者が

二拍手に続いて合掌祈願しているのは正しい。

明治以前は合掌祈願だけだった。

ただし、神前で突っ立ったままでは畏れ多いということか

膝を折って合掌祈願してたようである(浮世絵に描いてある)。

 

二礼二拍手一礼を参拝者に強要したのは明治の政治家。

日本の伝統とは関係なく

政治家の都合ででっち上げられた国家神道の一環だ。

『論語』のパクリに「天皇の為に死ね」

と付け加えたような代物で

80年足らずの期間、ほぼ三分の一を戦争に費やし、

挙句の果てに国土を焼け野原にしてしまったのだから

継承すべきものではない。

 

神社信仰は氏神信仰が始まり。

山と森に覆われ地震や台風、火山噴火など

自然災害の多い土地でおのずと生まれた自然信仰であり

天皇制より古い。

山や古木、湧き水や滝など自然そのものを御神体とし

鳥居と祠しかないのが元々の形である

(拝殿や本殿建設が盛んになるのは13世紀以降)。

 

教義、経典もなく預言者や聖人もおらず

人的権威とは本来無関係。

むしろ民を苦しめる権力者には大魔神の怒りが炸裂して・・・

あ、いや大魔神は関係なかったな。

ただ明治以前は京町衆など一部を除いて

庶民の大部分は天皇の存在も知らなかった。

天皇が最高神官というのは宮廷神道の話。

明治以前は現人神でもなく天皇自身が千年以上神仏習合だった。

 

当家に近い某神社は弥生遺跡群の中にあり祭神は銅の神。

これ自体が既に珍しいのだが、

周辺の遺跡からは銅鐸なども発見されている。

神社の起源は定かではないが銅鐸作りに関係していたとすると

卑弥呼以前(卑弥呼の時代は銅鏡がメインになる)。

1800年は遡ることになろうか。

文字もなかったし

テンノーという漢字音読みの称号があるはずもない時代である。

 

鎮守の森は深く参道は長い。

神社に隣接して走る道路はこの区間に信号三つ。

だが社務所はなく、普段はひっそりとしている。

正月はさてどうなっているのだろう。

ということで、初詣はここに決定。

古代の作法がどうだったのか分からないので

そこんとこはそれらしくやるとしよう。

  

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