鮮やか眞鍋さん司会の7番、いや8番?勝負
「さぁっ、テレビ大阪の狭い楽屋に濃いいメンバーが」
と眞鍋かをりさん、ちょっと懐かしさもある楽屋からスタート。
7番勝負と銘打った「大阪秋の陣」。
土曜日の生放送だったのだけど
諸般の事情により本日にずれ込み。
濃いいメンバーを引き連れて楽屋入りした眞鍋さん、司会席に。
お馴染みだったこの風景も懐かしい。
7番勝負といってもテーマはあれやこれや。
エピソードの「熱さ」を各自スイッチを叩いて
モニターに表示しようというもの。
分かったような分からないような・・・
でも眞鍋さんの進行は歯切れよく
テンポも軽快で鮮やかそのもの。
「道頓堀の歌があるんですか?」
と嘉門タツオさんに振ってみたり
「なんかオネエのイベントがあるそうで」
とオネエタレントさんに振ったりも
テンポと間が面白い。
文章では上手く伝えられないのが残念。
「当時の熱狂を味わってみたかったですね」
なんて言うのは、眞鍋さんが生まれる前の大阪万博。
EXPO70、にぎやかだったねぇ。
「1970年のこんにちわ~♪」
なんて歌がテレビで毎日のように、
それも全国規模で流れて、
まさに国を挙げてのお祭りムード。
この手の行事はオリンピックくらいしかなくて珍しかったし
外国人というだけでサインをねだったのもその表れだ。
固定相場制だったのでインフレでも為替相場に影響ない
ってことで大卒初任給が10年で8~10倍になるほど。
元本が目減りするから借金しないと損。
信用が膨張し消費は拡大、大規模投資もやりやすかった。
でもこれは1970年が最後。
翌年にはドルショックで固定相場制が崩壊し
73年の石油危機で長期停滞期に入る。
万博のお蔭で良くなったなんて言える状況ではないが、
それはたまたま時期が重なっただけ。
ゲバ学生・・・って分からない人もいるか、要するに
ヘルメットと覆面で角材を振り回す反代々木系って、
つまり反日本共産党系の暴力学生のことだけど
連中が孤立化し消えていったことも万博とは
一切、1ミリも関係ない。
それはたまたま時期が重なっただけ。
ゲバ学生を追い出す為に
教職員や学生がどんだけ苦労したかを思えば
「万博のお蔭」なんて自画自賛が過ぎるだろう。
当方が入学した頃は腑抜けの残党が少数いただけ。
「そんなに暴力が好きなら勝負しよう」と
タイマン勝負を持ちかけたら
「ぼ、暴力だぁ~」なんぞとわめいて逃げていった。
まだ何もやってへんっちゅ~に
それは兎も角、今と当時では
国内的にも国際的にも事情が大きく異なるので、
単純に夢よもう一度とはならないことを踏まえて
傾向と対策を考えることが必須条件だろう。
さて、流れるように進めてきた眞鍋さんだが、
最後の一番となった時、何やら台本をじっと見つめて
・・・・アレ?どうしたのかなと思ったら
「7番勝負ということでお送りしてきましたが」
は?
「やってみたら8番勝負でした!」
なんじゃそら
「こんな番組ある~っ!」
ということで、想定外のオチで幕となったのでありました。
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