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2017年1月 5日 (木)

超絶苦労人の再会旅だった「行きたい人応援団」

 

眞鍋かをりさん、今年の仕事始めは

今日の「ビビット」だったようだけど、

まずは「行きたい人応援団3時間SP」の続き。

 

パラグアイに移住した方なのだけど、

南米移民といえば夢と希望を抱いて赴いたものの

聞くと見るとでは大違いだった・・・という話はよく聞く。

とはいえ、雨水をすすり、芋をかじり・・・って

ロビンソンクルーソーかって話。

 

開拓地に電気が通ったのは移住から50年、

1986年のことと聞くと、眞鍋さんも

「そんなにかかったんだ」と驚きを隠せない。

おまけにご招待となった関冨美男さんは

幼くして父を亡くし、母が8人の子を育て・・・

一体どれほどの苦労を背負わされなくてはならないのか。

 

次男と三女の兄姉は日本に渡ったが、

それから一度も会っていない。

暇ができたし、ちょっくらワイハへ

なんて気軽に渡航できる場所ではない。

長期休暇が取れなかったり、先立つものがなかったりで

19年と24年の月日が過ぎた。

 

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これは看過できぬと宿泊先に次男の兄、

これが24年ぶりの再会だ。

ワイプの眞鍋さんも思わず顔を押さえる。

ならばと19年ぶりとなる三女の元へ。

三女の子どもたちも冨美男さんが大好きだったので

 

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両手を広げての大歓迎だ。

そして一夜限りのバーベキューパーティー。

別れの挨拶は「またね」と軽いものだったが、

「また」はもうないかもしれないと知った上でのもの。

切ない。

 

だが、冨美男さんにはもう一人会いたい人が。

少年野球でバッテリーを組んでいたヤクルトの

え?プロ野球の?は?岡林?ヤクルトの元エースの?

エーッ!パラグアイ出身だったの?

 

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てなことで34年ぶりにバッテリー復活。

冨美男さんが盛んに里帰りを勧めていたのは

自分はもう来日できないが君は来れるだろう

の含意であろう。 

 

岡林選手の勇名はつとに知られているので

イグアスの町はお祭り騒ぎになるに違いない。

是非実現させて欲しいね。

ヤクルト球団も考えてみては?

 

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