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2015年12月29日 (火)

ややこし過ぎるぞ動乱の中南米とヒストリーツアー

 

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さて、マジカルヒストリーツアー、

今回はラテンアメリカ諸国の独立。

といっても国が多いのでメキシコにスポットライトを

ってことなのでシモン・ボリバルは出てこない。

メキシコだけでも混乱を極めたその政治史、

簡潔にまとめるのは不可能なので、まぁ仕方ない。

 

発端はイダルゴ神父主導の民衆蜂起。

メキシコ生まれのスペイン人だが

混血や原住民にも人望があった。

軍人だったアジェンデもこれに加わり、何度か政府軍を破る。

だが、怒りに任せた蜂起は暴走を生み、

白人と見たら虐殺してしまうので

これでは例え勝っても、その後の政権運営が展望できない。

 

結局、裏切りによる待ち伏せで

二人は捕まり、処刑されてしまう。

 

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「もうちょっとだったのにね~」と眞鍋さん。

でも、1821年、ひょんなことから独立を果たす。

スペイン本国でクーデターが起こり、

立憲君主制に移行するのだ。

 

だが、法の下での平等を謳う立憲主義に賛同

・・・・したからではなく、その真逆。

立憲君主なんて認めんぞ、王権は絶対だぁっ

と叫んでの独立。

えぇとね・・・・ほな、王様はどうするの?

 

てことで欧州各地の王族に

王様になってくれまへんかと呼びかけるのだが

相手にされず、身内から皇帝なんぞを担ぐ。

そんなに王様が大事なら

スペイン国王への忠誠を貫くのが本筋

のように思えるが、よう分からん話である。

 

できあいの皇帝が3年で退位して大統領制になるのだが

そこで台頭してきたのがサンタ・アナ。

テキサス独立運動が起こると鎮圧に出かけ敗北。

捕虜となってアメリカに送られる。

この時、金で領土を売却する話を持ちかけていたらしいが、

メキシコに戻ると反故にする。

で、再び戦争になり、また負ける。

結果、メキシコは北米大陸の領土のほとんどを失う。

アナがあったら入りたい体たらくだが、

こんなオッサンが11回も大統領になるってどーよ。

 

その後、保守派と改革派の間で内戦状態となるのだが、

おりしもアメリカは南北戦争でそれどころじゃない。

しめしめと触手を伸ばしてきたのが

これまたどーよのオッサン、ナポレオン三世。

メキシコシティーを占領し、なんと名門中の名門

ハプスブルグ家を口説いてオ-ストリア皇帝の弟、

マクシミリアンをメキシコ皇帝として送り込む。

 

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「いやぁ~大変な時に来ちゃったね」

眞鍋さんも思わず同情のマクシミリアン。

写真や肖像画で見ると立派な髭を生やしたいいオッサンだが、

実は皇帝になったのは31歳の時。

老けるにも程があるぜ。

 

そもそも内戦は改革派が優勢。

フランス軍あっての皇帝だったのだが

そのフランス軍、プロイセンとの戦争必至と

マクシミリアンを見捨てて引き上げてしまう。

それでも逃げ出すことなく踏み止まったマクシミリアン。

律儀なのか若気の至りなのか

敗北し、処刑されてしまう。

34歳であった。

 

ハプスブルグ家が激怒したのは言うまでもなく

ナポレオン三世は普仏戦争にあたり

オーストリアの協力をあてにしていたらしいが

さよかと応じる訳がない。

オッサンも敗北し地位を失うのである。

 

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だが、短い治世だったにもかかわらず、

マクシミリアンは遺産も残した。

 

教養人でもあったマクシミリアンは

人権思想にも一定の理解があり、

皇帝として最初に定めた法律が

児童労働の禁止と労働時間の制限。

改革派との和解も模索し、

時代遅れな守旧派にとってはあれあれって存在だった。

 

そして提唱したのが

アステカ文明に光を当てたアステカ学だ。

 

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それでは何故、先住民の文化を尊重しなかったの?

眞鍋さんの当然の疑問。

近代化を阻害すると考えた、

伝統と近代化の融合は多くの国に共通する課題だった

と先生はおっしゃる。

伝統にウエイトを置き過ぎると

なんでヨーロッパ人が支配してんだってことにもなるだろう。

 

1910年には再びメキシコ革命が勃発する。

てことでヒストリーツアーも20世紀に突入だ。

 

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