ややこし過ぎるぞ動乱の中南米とヒストリーツアー
さて、マジカルヒストリーツアー、
今回はラテンアメリカ諸国の独立。
といっても国が多いのでメキシコにスポットライトを
ってことなのでシモン・ボリバルは出てこない。
メキシコだけでも混乱を極めたその政治史、
簡潔にまとめるのは不可能なので、まぁ仕方ない。
発端はイダルゴ神父主導の民衆蜂起。
メキシコ生まれのスペイン人だが
混血や原住民にも人望があった。
軍人だったアジェンデもこれに加わり、何度か政府軍を破る。
だが、怒りに任せた蜂起は暴走を生み、
白人と見たら虐殺してしまうので
これでは例え勝っても、その後の政権運営が展望できない。
結局、裏切りによる待ち伏せで
二人は捕まり、処刑されてしまう。
「もうちょっとだったのにね~」と眞鍋さん。
でも、1821年、ひょんなことから独立を果たす。
スペイン本国でクーデターが起こり、
立憲君主制に移行するのだ。
だが、法の下での平等を謳う立憲主義に賛同
・・・・したからではなく、その真逆。
立憲君主なんて認めんぞ、王権は絶対だぁっ
と叫んでの独立。
えぇとね・・・・ほな、王様はどうするの?
てことで欧州各地の王族に
王様になってくれまへんかと呼びかけるのだが
相手にされず、身内から皇帝なんぞを担ぐ。
そんなに王様が大事なら
スペイン国王への忠誠を貫くのが本筋
のように思えるが、よう分からん話である。
できあいの皇帝が3年で退位して大統領制になるのだが
そこで台頭してきたのがサンタ・アナ。
テキサス独立運動が起こると鎮圧に出かけ敗北。
捕虜となってアメリカに送られる。
この時、金で領土を売却する話を持ちかけていたらしいが、
メキシコに戻ると反故にする。
で、再び戦争になり、また負ける。
結果、メキシコは北米大陸の領土のほとんどを失う。
アナがあったら入りたい体たらくだが、
こんなオッサンが11回も大統領になるってどーよ。
その後、保守派と改革派の間で内戦状態となるのだが、
おりしもアメリカは南北戦争でそれどころじゃない。
しめしめと触手を伸ばしてきたのが
これまたどーよのオッサン、ナポレオン三世。
メキシコシティーを占領し、なんと名門中の名門
ハプスブルグ家を口説いてオ-ストリア皇帝の弟、
マクシミリアンをメキシコ皇帝として送り込む。
「いやぁ~大変な時に来ちゃったね」
眞鍋さんも思わず同情のマクシミリアン。
写真や肖像画で見ると立派な髭を生やしたいいオッサンだが、
実は皇帝になったのは31歳の時。
老けるにも程があるぜ。
そもそも内戦は改革派が優勢。
フランス軍あっての皇帝だったのだが
そのフランス軍、プロイセンとの戦争必至と
マクシミリアンを見捨てて引き上げてしまう。
それでも逃げ出すことなく踏み止まったマクシミリアン。
律儀なのか若気の至りなのか
敗北し、処刑されてしまう。
34歳であった。
ハプスブルグ家が激怒したのは言うまでもなく
ナポレオン三世は普仏戦争にあたり
オーストリアの協力をあてにしていたらしいが
さよかと応じる訳がない。
オッサンも敗北し地位を失うのである。
だが、短い治世だったにもかかわらず、
マクシミリアンは遺産も残した。
教養人でもあったマクシミリアンは
人権思想にも一定の理解があり、
皇帝として最初に定めた法律が
児童労働の禁止と労働時間の制限。
改革派との和解も模索し、
時代遅れな守旧派にとってはあれあれって存在だった。
そして提唱したのが
アステカ文明に光を当てたアステカ学だ。
それでは何故、先住民の文化を尊重しなかったの?
眞鍋さんの当然の疑問。
近代化を阻害すると考えた、
伝統と近代化の融合は多くの国に共通する課題だった
と先生はおっしゃる。
伝統にウエイトを置き過ぎると
なんでヨーロッパ人が支配してんだってことにもなるだろう。
1910年には再びメキシコ革命が勃発する。
てことでヒストリーツアーも20世紀に突入だ。
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