豪雨被害は心配だけどのヒストリーツアーは西アジアの絶頂期
さてはてマジカルヒストリーツアーの眞鍋かをりリーダー
これは早い時期に収録されたらしく
お腹のまなベイビーもほとんど目立たない。
テーマは発展する西アジアだが、当ブログ、
千年帝国の回や十字軍の回で先走ってしまったようで
それはそれでまとめてカバーしてまっせが今回。
てなことでやはり語らぬ訳にはいかない
砂漠のライオン、アイユーブ朝エジプトのサラディン。
ライバルとされるライオンハート=リチャード一世は
ものによって英雄視されたりボロカスだったり様々だが
サラディンを悪く語るものはいない。
最近チラ見した映画(タイトル失念)のラストでも
主役の騎士が降伏を申し出るのだが
「ええよ」と頷くサラディンに「信じていいか」と問い直す。
するとサラディン役の俳優は顔色一つ変えずに答えるのだ
「アイアムサラディン」
何で英語やねん・・・はともかく
「ワシを誰やと思うとんねん。あのサラディンやど」
ってことである。
そやったと愚問を引っ込めた騎士は
多数の民間人と共に無事に帰郷するのであった。
捕虜を人質にして身代金を取ることは
当時からお互いやり合っていたのだが
サラディンはそれをしなかった。
「カッコいい人だったんだね」と眞鍋さんも感心。
そのサラディンの元、カイロは大いに栄えるのだが、
サラディン自身はクルドの族長であってアラブ人ではない。
民族より部族の価値観は今でも強いが
民族主義が芽生えるのは20世紀に入ってからのように思う。
その辺はアラビアのロレンスの回想録にも見て取れる。
そのロレンスにアラブ人の「砂漠の反乱」を起こされたのは
退潮著しい末期のオスマン帝国だが
全盛期の勢いたるやとんでもなかったのである。
あれを御覧と指差す彼方はざっとこんなもん。
まさにグローバルエンパイアである。
だが、150年間帝国の支配下にあった
ハンガリーやルーマニアはちっともイスラム化していない。
オスマン帝国は宗教には寛容だったのである。
実は、コンスタンティノープルの城壁を壊した巨大大砲も
設計したのはハンガリーの技師だったとか。
も一つ実はイスタンブールも
コンスタンティノープルと言われたり
イスタンブールと言われたり
どっちでもええやん状態が長く続き、
イスタンブールに統一しまひょと決めたのは
「えーっ」と眞鍋さんも驚く20世紀に入ってから。
寛容なのか大雑把なのかよう分からん。
最後はサファヴィー朝ペルシャの帝都イスファハーン。
自慢じゃないが
数年前の高校講座がサファヴィー朝の
統治スタイルについてやってるのを見るまで
当方的にはぽっかり空いた穴だった。
西洋史は西欧目線になりやすい。
西欧と国境を接していないサファヴィー朝は
西欧目線では副次的になりやすいのだ。
「世界の半分」とまで謳われた
その繁栄ぶりには眞鍋さんも驚くばかり。
と来たところで北関東の洪水被害、
夜になるのでくれぐれも無理をせず
救助をお待ちいただきたい。
東北方面はこれから豪雨が激しくなりそうなので
予断を許さない状況である。
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