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2015年8月10日 (月)

グローバルに捉えようカレーのヒストリーツアー

 

ってことで要するに

早い話がカレーですわとヒストリーツアー。

 

001

 

かなりお腹が大きくなった眞鍋さん、

横からのショットでは目立ってきたけど

見てみぬふりをしてマジカルジャンプ。

なんちゅうてもコロンブスのオッサンも出てきよりますしな。

 

012

 

「どうなるんだろう」と言いつつ

「コロンブスが出てきたら歴史っぽいよね」と眞鍋さん。

 

当ブログが十字軍の回で補足説明したように、

地中海貿易の主役はイスラム商人。

インドから地中海までのルートも押さえていたが、

それは欧州人には未知なる世界。

地球は丸いと信じたコロンブスのオッサンが

西に向かって航海したら、あらま着いたのは

インドじゃなくて未知の大陸だったとアメリカに。

ネイティブアメリカンはインディアンじゃなかったのだ。

取り敢えずここで入手したのはチリ(唐辛子)。

 

ガマの油売り・・・ではないバスコ・ダ・ガマは

喜望峰経由でインド洋に出るが、

イスラム商人から海図を手に入れていたとか

いやその海図は明の鄭和が作ったものだとか諸説ある。

ガマがやってきた時には明はインド洋から手を引いていたので

欧州勢が好き放題に暴れることになる。

でも、お蔭でチリがインドにやってきて、

辛いカレーが誕生した。

つまり唐辛子は唐の時代には唐になかったのだ。

 

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「なるほど、カレーはグローバルな

スパイス貿易の結果、生まれたんだね」 

そうですわ姉さん、でもまだ足りんもんがおま。

なんで大阪弁やねん。

いや、それにも歴史がおまんねん。

 

スパイスの調合が難しかったイギリス人が

調合済みのカレー粉を開発。

明治時代に日本に入ってくるのだが、

当時の日本カレーの具に野菜は葱のみ。

眞鍋さんが大好きなポテトがない!

 

ポテトは16世紀、インカ帝国を滅ぼした

極悪ピサロによって欧州にもたらされたが

欧州でポテトといえばこのオッサン、

大王と謳われたプロイセンのフリードリヒ二世だ。

飢饉で百姓一揆が頻発し、

農民戦争といわれるほど激しかったが、

オッサンが荒地でも育つポテトの栽培を奨励して

ようやく下火に向かった。

 

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日本にはジャカルタ経由で入ってきたので

ジャガトライモ→ジャガイモ、バンザーイって

「ちょっと無理があるような気もするけど」

と眞鍋さんだが、ホンマでんがな。 

カンボジア→カボチャみたいなもんで。

 

カレーにポテトを入れたのは軍隊。

軍隊イイとこ一度はおいでと三食銀シャリ(白米)にしたら

脚気の兵隊が増えちまってさぁ大変。

当時の食事は一日五合の穀類。

米の生産が需要に追いつくのは1960年代のことなので

麦、きび、粟など込みの雑穀米だ。

一日五合も食えるかいってのは

おかずが豊富な現代の感覚。

米に梅干し一個の日の丸弁当状態が普通だったから

雑穀で栄養を補っていたのだ。

 

これはイカンと採用されたのがポテトだが、

肉じゃがも海軍発祥だからポテトの評価は高かったようだ。

 

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カレーが食べたくなってきた眞鍋さん。

妊婦が食っていいものか否かは医師の判断に待つとして

大阪はなんの関係がおまんねんときたら

さぁそれですわ。

 

一般のレストランでカレーを出し始めた時期は

東京も大阪も大差ないのだが、

カレーとライスを別々の器に入れ、

高級感を演出したのが東京。

大阪では梅田の阪急百貨店大食堂が

大量に作っての廉価販売でこれが大ヒット。

こら儲かりまっせとカレー粉を国産したのが

大阪の製薬会社という訳ですわ。

 

てことでグローバルからローカルまで幅広く、

歴史は繋がっているのだ。

 

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