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2015年8月 7日 (金)

眞鍋さんとオッサンとそれぞれの8.6

 

さて、二日がかりで格闘していたPCの不具合も解決

・・・と言っても

メンド臭くなってリフレッシュしてしまったのだが

んなことやってる内に8.6が来た。

 

友人というには年配に過ぎた気もするが

被爆者のMさんとはよく飲みに行った。

三度の召集に生き延び、

インパールの生き地獄からも生還した

おでん屋のまっちゃんと知り合ったのも

Mさんの行き付けの店だったからだ。

 

しかし、皆さんひと足早く逝かれた。

そういえば6年前に御逝去された

眞鍋かをりさんの北海道の御祖父様、命日は7月だった。

北海道の御祖父様については当ブログも

かつて書いたことがある。

http://vq12bb31kn29.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-43b4.html

確か樺太で鉄道のお仕事をされていたと聞く。

ソ連侵攻の際、戦闘に巻き込まれて負傷、

シベリアで抑留生活を体験された。

よくぞご無事に帰還されたものである。

 

0907023_044_3

 

てなことで2009年の眞鍋スマイル。

場合によってはこの笑顔に癒される幸福も

味わえなかったかもしれないと思うと感慨深い。

関東軍の将校だった我が父はソ連機の機銃掃射に対し

「伏せろ」としか言えぬまま、目の前で

数百人の居留民がむざむざと射殺されるなど、

民間人を守れなかったことを生涯悔いていた。

 

父の抑留生活は7年に及んだが、軍人であり将校でもあり、

おまけに特務機関員でもあったから

まぁ百歩譲って分からんでもない。

だが、眞鍋さんの御祖父様は民間人。

抑留に国際法的根拠があったのか疑問だが、

国際法など糞食らえの独ソ戦の流儀を

そのまま持ち込んだのであろう。

 

眞鍋さん自身はそこまで際どいことは言っていないが、

その思いの一端をヤッホーの「未来への手紙」に寄せている。

http://wararchive.yahoo.co.jp/letter/#manabe

改めて亡くなられた皆様の御冥福を祈りたい

合掌

 

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