« もはやボケるしかない驚き大決着の桜花賞 | トップページ | 前厄眞鍋さんの厄払い談義「ぶっちゃけ寺」 »

2015年4月13日 (月)

「マネー」はあれやこれやの圧力特集~その一・資料編

 

さて「たかじんNOマネー」は

古賀茂明氏のテレ朝報道番組降板に絡めた

あれやこれやの圧力特集だったのだが、

そういやあんなのもこんなのもと挙げていったら

長くなったので資料的に別記事にすることにした。

 

古賀さんといえば現役官僚時代にも官僚批判をしていた。

相当な頑固者なのであろう。

勿論、小泉構造改革の申し子ということで、

「小さな政府」を目指す立場から

官僚の利権拡大に反対するという文脈でだ。

 

新自由主義は国家の意思よりグローバル企業の意思を優先する。

凄いぞ日本的国粋主義や国家主義とは基本、矛盾する訳で、

トップダウンで話ができて都合がよい時は独裁者も歓迎するが

対立する立場になったら転覆を図る。

頑固者の古賀氏がグローバル企業の意を受けている

とは思えないが、

根本的な矛盾が露わになった一例のようにも感じる。

 

だが、個別の番組に対し、

政府が文書で申し入れってのはやはりおかしい。

政府の雇主、オーナーは国民なのだから

疑問や批判には答える義務があるしその手段もある。

 

アベノミクスが全国津々浦々に浸透し、

何処へ行っても好景気に沸き立っているというのなら、

そのデータを公表すればよい。

政府発表は自動的にニュースとして配信される。

個別に文書で申し入れたって国民は読めないではないか。

総理の「私の言論の自由」発言といい、

政府は自分を個人や私企業と混同しているのではないか。

 

こういうやり方が不評なのは国内メディアに限らない。

これに関し、外国人特派員協会のウェブページに

ドイツ人記者のコラムが掲載されている。

http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/576-on-my-watch.html

これについてハフィントンポストの日本語版が後追いしていて

外務省の見解も求めている。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/10/carsten-germis-confession_n_7038596.html?utm_hp_ref=tw

日本もそれなりにロビー活動すべきとは思うが

道理を尽くして納得させるものでなくてはなるまい。

論も尽くさず「圧力」をかけるだけでは

逆に反発されてしまうことの証だ。

 

「中国から金貰ってる」なんて話は裏を取ってから言うべきだし

それがないなら言うべきではない。

根拠もなしに決めつけるから

「中国にビザ承認して欲しいからだって?

中国なんて行ったことねーよ」

と論駁されてしまう。

 

ハフィントン紙に対して外務省は

フランクフルトでのやり取りは否定したそうだが、

少なくとも中国マネー云々の

どっかのチンピラみたいな言説は事実でないことを祈る。

 

その一方、米の教科書出版社にねじ込んだのも

米歴史学界から抗議声明を食らう結果となった。

従軍慰安婦に関する証言なんて

真偽不明のものも含めればゴマンとある。

故山口淑子さんや中曽根元総理も書いているくらいだ。

吉田証言など無数の内のひとつに過ぎないし、

「朝日」叩きだけが目的の井の中の蛙論法が

世界で通用するはずがない。

 

米教科書の記述に間違いがあったのは事実だ。

それはマクドゥーガル報告が引用した荒舩放言を根拠にした部分

これについては当ブログも指摘した。

http://vq12bb31kn29.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-bfa0.html

よりによってなんで荒舩放言を、と思うが、

マクド報告の誤りを何故にもっとはっきりと指摘しないのか、

実に不思議である。 

 

ついでだが、ドイツの公共放送ARDも古賀問題と

メディアへの圧力、自己検閲について報じている

http://www.tagesschau.de/ausland/japan-zensur-101.html

ドイツ語のボキャブラリーが貧困なので解説する力はない。

参考までに。

 

|

« もはやボケるしかない驚き大決着の桜花賞 | トップページ | 前厄眞鍋さんの厄払い談義「ぶっちゃけ寺」 »

眞鍋かをり・テレビ(報道・情報3)」カテゴリの記事

コメント

テレビ朝日の夜の看板番組であるニュースステーションで解説者が交代し、それについて解説者が異議を唱えるという事件があった。この事件については、様々な考えが出されているが、私は次のように考えている。

報道は、憲法で定められた表現の自由、電波法に基づく電波の使用権利、そして放送法による中立報道が求められている独占的職業だ。だから、電波は公共のものであり、テレビ朝日が私企業でも公共性を持たなければならない。

ニュースステーションはテレビ朝日が公共性のもとで報道しなければならないので、今回の問題は、

1) 解説者個人のことか

2) 普遍的な意味があるか

のどちらかであるかでその正当性が決まる。もし、解説者の個人的恨みで降板に対して発言した場合は、解説者の発言が不適切である。しかし、本当にどこからか圧力がかかり、特定の解説者が降板された場合は、「憲法違反と法律の精神に違反する行為の指摘」だから、解説者がニュース番組の中で言うべきことである。

そうなると、果たしてこの2つのうちどちらかかという問題であり、世間が言っているように「個人的なことだから解説者が悪い」というような単純なものではない。

私は、「昨日、こういう放送をしたら、環境省からこういう圧力を受けた」というような話をこの10年間で数件、直接的に言われた人から聞いている。もちろん、私は検察でもないからその真偽を確かめることはできないが、感覚的にはそういうこともあるだろうと思っている。

「良い日本を作り、それを子供たちにつなぎたい」という気持ちが強い私は、戦争で命を落としたおじいさんのしたことは、よくよく考えるととても良いことだと思うし、その犠牲を無駄にしないためには、私たちも命を捨てて日本をよくしたいと思っている。

しかし、現在の日本が「自分や会社のためにウソを言うのは良いことだ」という倫理観が標準的である。それが、「大人のやること」であり、「スマートだ」と考えられている。もしかすると正しいのかも知れないが、私は「自分や会社より、日本のために本当のことを言うことが良いことだ」と考えている。

私の考えが正しいかどうかはわからない。ただ、私はそう思うということだ。これまでの歴史を見ると、「小知」より「大知」、つまり、数少ない東大でのエリートが考えたこと(小知)より、多くの日本人が考えたこと(大知)の方が優れていることは明らかと思う。その失敗例が共産主義だ。

共産主義は悪い制度ではない。でも失敗したのは「党の指導」を最善としたことによる。いくら衆愚政治と言っても、自由主義の方が優れていたのは、あれこれと自由な意見がでるし不能率だけれど、結局、その方が国が発展するということだ。
人間、「批判」こそが大切で人間の持つ欠点をカバーしてくれる。
人間は「自分が正しい」と思っていることに固執し、「自分と違う考えは間違っている」と錯覚しがちである。
ニュースステーションの事件をこれらのことから考えると、解説者の言われたことは現在の報道機関の問題があるという現実から考えると、「正当な電波の使用方法」であると思う。つまり、現実に「圧力があるのではないか」という疑念がこれほど大きいのだから、公共性があるということだ。
それに対して、放送局が「本当の真実」を明らかにできるのか、それが最終結論になるだろう。






投稿: | 2015年4月13日 (月) 20:33

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« もはやボケるしかない驚き大決着の桜花賞 | トップページ | 前厄眞鍋さんの厄払い談義「ぶっちゃけ寺」 »