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2014年8月 7日 (木)

戦争体験の話

 

原爆投下の6と9の日に挟まれ終戦記念日も近い

ということで戦争体験とその証言のとらえ方について

ちょっとした経験を書いてみよう。

 

終戦も近い昭和20年、長岡京市の工場が

米軍機の銃撃を受け、勤労動員の少女が亡くなった。

だが、目撃者の証言は

「グラマンのP40による機銃掃射」といもの。

この時期、P40は旧式化して使用されていないし

グラマン社のものでもない。

 

当時、日本に飛来していた小型機といえばP51。

どちらも水冷エンジンなので遠目のシルエットは似ている。

東海方面を空襲したB29は左旋回して京都上空を通り

太平洋に抜けて帰投していた。

それを護衛していたP51であることは間違いないが

何故P40などという旧式機の名前が出てくるのか?

 

P40は日中戦争で中国軍も使用していた。

昭和20年に本土に残っていた従軍経験者といえば

老兵がほとんど。

日中戦争に従軍していた人がP40の機影を覚えていて

「あ、あれだ」となったのである。

米軍機といえばグラマンがメジャーだったので、

誰かが「グラマン」を引っ付けたのであろう。

 

たまたま銃撃された煙突が保存されているので

銃撃の事実だけは疑う余地がない。

だがそれがなかったら、

中途半端に知識のある人は

「話が無茶苦茶ではないか」と一笑に付したかもしれない。

となると真実は封印されてしまう。

 

体験者は後世の記録や情報と照らし合わせ

自分の体験を検証するなどという作業を

研究者じゃあるまいしほとんどしていない。

記憶は当時のまま、時には勘違いや誤情報も含めて

当時のままに凍結されているのである。

疑問点があったら、何故そのような記憶が生まれたのか

氷を砕いて真実を取り出すのは後世の者の仕事だ。

 

毒ガス製造に携わった

という人物の訪問を受けたことがある。

興味深く拝聴したが、既に関連資料は明るみになっており

新事実はなかった。

だが、老人はそれを知らず、誰にも言えない秘密を抱えて

戦後を生きてこられたのである。

「そんなこと知ってる」などと言ってはいけない。

戦争体験を聞くということは心を受け止めることでもあるのだ。

 

固く信じている人が多数いるのに事実でなかったり

嘘のような本当の話もある。

大切なことは真摯に向き合うことである。

 

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