明日へのエピローグ
ふと我に帰ったら、当ブログも丸4年を経過した。
あれまぁ。
コメント欄がなかった頃の「ココだけの話」に
トラックバックする為に新設したブログだったけど、
いつの間にか眞鍋かをりさんの応援ブログになってしまった。
他にもブログはあったのだけど、
タイピングに不自由するようになったこともあって、
今はコレ一つ。
これだけは続けていきたい。
いつまでかは自分でも分からないけど。
便利な時代になったもんで
初めての土地でもナビゲーターが道案内してくれる。
それも車にだけではなくて
スマホにも装備できるのだから凄い。
お陰で道に迷うこともない。
でも、考えてみたら、それは誰かが歩いた道だからだ。
ところが人の進む道というのは個人個人でそれぞれ違っていて、
人の通った後をその通りになぞることはできない。
未来は誰も通ったことのない道。
だから、振り返れば過去を思い返すことはできるけど、
先を見通すことはできない訳だ。
治療方法のない病気の当方なので
他の人よりも予想はつきやすいはずなのだが、
このジストロフィーというのは癌のように
はっきり余命○年と診断できない。
だから自分がどうなるか、ある程度の予測はできても
はっきりしたことは分からない。
眞鍋さんにメッセージを送ることができなくなった時、
それが余命の尽きる時だっ!
・・・とか言えたらカッコイイのだけど、
何もできない状態で生き続けるかもしれない。
ぱっとしない話である。
終わりが近づいていることは明らかだけど、
それでもなお、過去を振り返るより
よく分からなくても未来を見つめていたい。
ブログのサブタイトルを「明日へのエピローグ」に変えた、
それがホントの理由だ。
見知った頃の眞鍋さん、まだ二十歳くらいだったか
海と山に囲まれた西条の話をあっけらかんと話していた。
ところが、どこで身につけたものか、科学的な思考方法を
理屈をこねるでもなくさらりと実践する。
ただ者じゃない二十歳。
当然のように進化をつづけた眞鍋さんだから
転換期が訪れるのは予想されたこと。
見届けるまではちゃんとしてないといけないな
と思ってたら、眞鍋さん、見事に乗り切った。
そして、まだ見ぬ明日の眞鍋さん ・ ・ ・
でも、結局、眞鍋さんは眞鍋さん。
眞鍋さんらしさを貫いてゆくに違いない。
私にとってはエピローグでも、
眞鍋さんにとってはまだプロローグ。
さて、どこまで見ることができるのか、
取り敢えずやってみようではないか。
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