閑話休題、言葉狩りに思うこと
最近話題の言葉狩り、
今に始まったことではないのだが、個人的に
麻生総理の頃からちょっと気になっている。
定額給付金を受け取らなかった当方だし、
個々の政策の是非については色々あろうが、
短期間に様々な施策を打ち出したことは事実だ。
低人気のあまり民主党政権に道を開いた総理だが
政策が原因だったというより、
発言の揚げ足とりみたいなのが多かった。
だが、その後現れた総理二人、
在任期間の割に仕事をしていない。
有権者として、考えるべきことが多々ありそうな気がする。
「死の町」発言で経産大臣が辞任したが、
言葉の選択が適当だったとは思えない反面、
会見の様子を見ると現状を憂えてはいても
悪意があったとは思えず、
辞任するほどのことはなかったと思う。
大臣の責務はあの発言一つで飛んでしまうほど軽いのか。
大臣だからこそ、発言への責任も重いとも言えるが、
「そんなこと言う奴には何もやらせない」
というほどの発言ではなかったと思う。
こうした「○○だから」の乱用は気になるところだ。
「芸能人だから」と最近、話題になったのは
ロンブーの淳さん。
だが、そもそも「芸能人だから」なんて制約はなかろう。
悪意のある誹謗中傷や犯罪を助長するような発言は、
誰であっても公共の放送で言うべきものではなく、
芸能人だからというものではない。
原発問題など誰もが考えなければならないことだ。
言葉狩りより言論の自由をこそ優先すべきだろう。
なにか言うと攻撃的な言葉を投げかける人がいるので
自由な発言ができなくなるのだ ・ ・ ・ という趣旨のことを
軽く、やんわりと淳さんは返していたが、その通りである。
意見の違いを前提とし、
だからこそ話し合うのが民主主義のルールだ。
異なる意見に耳を傾けることはその大前提である。
意見が違うというだけで他人を「お前ら」呼ばわりしたり、
言葉尻に「カス」とか「ボケ」とか付け加えるなど
民主主義のルールを共有できない人が見受けられるが
言葉狩りされるべきは彼らの方であろう。
昨今の右寄りブームと関係あるのかないのか当方には分からない。
ブーム自体は不満の受け皿として世相を表すものだと思う。
5年ほど前までは、「政府に反対する奴は反日だ」なんて
無茶苦茶なことを言っていた保守論客が、
今では率先して政府批判をしている。
金大中時代に一段と強まった韓国の反日政策や
中国の官製反日デモが火をつけた一面もあるように見える。
そもそも科学的な歴史研究が存在せず、
時の権力を正当化する為のものであった両国なので、
反日思想も客観性に欠けていたり、
漫画的なくらい無茶苦茶なものもある。
長い間日本の政府も国民も無関心を通してきたが、
それが助長させてしまったともいえるので、
堂々と主張すべきは主張していかなくてはなるまい。
しかしそれは、同じ穴のむじなになることを意味しない。
成熟した民主主義国として対応していかなくてはならないだろう。
いずれにせよ、意見の違うものを
高所から見下して悪罵を投げかけるだけでは
中国の紅衛兵やナチの突撃隊と同じである。
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