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2010年4月18日 (日)

情報過多時代の生き方

よく見た風景、というより学而館前ではないか・・・

と思ったら、立命館学内で学生インタビューをしていた。

早朝放送されていた「テレビの素」(関テレ)。

 

これからのテレビに求められるものを探ろうという意図らしいが、

テレビを見ない学生も増えているらしい。

貧乏学生が多かった時代は

そもそも下宿にテレビがある学生も少なかったが、

今時、パソコンを持たない学生は少ないだろう。

 

だが気になったのは若一先生の

「報道する側の力も落ちている」という指摘。

ネット情報など信頼できるものは数パーセントにも満たないが、

そのごった煮からガセネタを引っ張ってきて

大火傷した報道機関があったとか。

そういえば、リークを鵜呑みにして大恥かいた国会議員もいた。

笑えない話だ。

 

言われてみれば、

情報の信頼性ということでは、

基本となる5W1Hすらあいまいなものが

当たり前の様に垂れ流しにされている。

 

特に「誰が」を明らかにすれば、

おのずと「何故」も浮き彫りになる。

情報を提供する側があいまいにしてはならない点である。

それがあいまいなものは断定的に報じるべきではなく、

受け取る側も鵜呑みにしてはならない。

 

顔を出さず声も変えた「証言」はよくあるが、

あんなのスタッフの一人が成り済ましていたって分からない。

やむを得ない場合は仕方ないとしてもそれはあくまで例外。

当たり前のように常態化してはいけないはずだ。

 

情報の出所こそ、信頼性の一番の根拠。

「関係者談」を乱発した揚句、ネズミ一匹でないでは

取材チーム一同猛省してもらわなくてはならないのだが、

とある政治家にかかわる報道合戦では、

「不起訴」が決まってもその気配はまるで見られなかった。

 

捜査関係者に夜討ち朝駆けをかけて

情報を引き出す手法は昔からあるが、

それが常に正しい訳でないことは

数々の冤罪事件が証明しているところ。

まして一般からの情報となれば、検証抜きには流せない。

「誰が」「何故」を問い返すことなく受け売りすると、

安直に情報操作の片棒を担ぐことになる。

 

これは、どっちが正しいかとは全く別次元の話である。

中立が強い側(声の大きい方)への

消極的賛同となってしまうことは多い。

それを避ける為には両論併記を徹底する以外にない。

中立を捨て旗色鮮明にする場合でも、

これ抜きに正当性を主張すると、正当性そのものに疑義が湧く。

 

ガセネタ、憶測、意図的中傷の類が氾濫しているネットに

本来、自ら精査した責任ある情報を提供すべき人々まで

毒されているとしたら恐ろしいことだ。

 

受け取る側に判断力がなければ、

取り付け騒ぎ、買い占め、暴動の類が

簡単に起こせることになってしまう。

トイレットペーパー買い占め騒動の時のように、

何でもない主婦の一言から発したものならまだよいが、

特定の意図を持った個人ないし集団による操作だったとすると

馬鹿にならない結果をもたらしかねない。

 

発表ものを記事にまとめるだけなら学生アルバイトで充分である。

裏付けと検証にこそプロの取材力を発揮すべきだろう。

同時に、受け取る側にも見識が必要とされる

そんな時代になってしまったようだ。

 

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