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2010年4月 9日 (金)

信長が生きていたら?

馬鹿馬鹿しいことは馬鹿馬鹿しいから面白い。

無意味で結構。娯楽に意味を求めることこそ無意味。

ということで、「歴史にはない!」と断言されているIFを

敢えてやってみようという特番があった。

 

特に「信長が生きていたら」という想定には、

「大英帝国に勝ってアジアの覇権を握る」とか

「産業革命は日本から起こる」とか、

羽目の外し方も半端ではなかった。

 

だが、瀬戸内で毛利水軍との合戦に使われた

装甲安宅船を「琵琶湖に浮かべていた」と言ったり、

武田の三倍以上の軍勢だった長篠合戦を

「わずか三千で数万の武田軍と戦った」と言ってみたり、

事実誤認の発言もあった。

 

お遊びだからこそ、事実は厳密に踏まえたい。

それが推理の面白さだ。

ということで、当ブログなりの信長編を考えてみた。

 

信長は単なる破壊者ではない。

楽市楽座を興したが、旧来の座、市も保護している。

流通していた雑多な貨幣の交換比率を定めたが、

統一貨幣の制定は急がなかった。

 

これは非征服地域との交易を阻害しない為と思われる。

決して性急に改革を急いではいない。

また、後の徳川幕府とは反対に道路網の整備に力を注いだ。

「天下布武」の背景には経済振興という目的があったのだ。

 

この辺が、秀吉と違うところ。

戦争以外に政治目的を見出せなかった秀吉は

国内を平定すると即、国外に戦争を広げたが、

信長なら国内経済の立て直しを優先しただろう。

 

支配地が広がれば、道路網だけでは追いつかない。

当然、海運に目を向けたと思われる。

勿論、欧州勢を視野に置いた海外交易にそれは広がる。

シーレーン確保の為の海軍力整備も欧州に倣うだろう。

 

だが、遠洋航海の為の造船、航海術の習得は容易ではない。

欧州のどこかと協定を結ぶ必要があるが、

徳川同様、信長もスペインの侵略計画に気付いただろう。

したがって、やはりオランダをパートナーに選んだと思われる。

 

政策の最重要課題が経済振興にあるとすると、

朝鮮出兵は信長政権下ではなかったと考える。

大陸との交易を進めつつ、情勢を探ることは当然ある。

ならば、後金(後の清)の台頭を見逃すはずがない。

 

後金と組んで明を圧迫し、

沿岸の港湾都市に権益を確保したかもしれない。

足利義昭に対し、地位や肩書より大津や堺など

流通拠点の支配権を求めたのと同じ手法だ。

 

モンゴルと連合した満州八旗軍と平原地帯で闘うなど

無謀、かつ無益である。

だが、騎馬民族の彼らは海に興味を持つことはなかった。

一方、信長の眼は地球の裏側まで見通している。

中国大陸での覇権獲得に労力を費やす愚を犯したとは思えない。

 

そんなことより、欧州勢より強固な足場を中国に築き、

交易をさらに西へと進めていっただろう。

途中でスペイン、ポルトガルと衝突するかもしれない。

オランダから情報を得、あるいは連携し、

地の利を生かして勝利する可能性は高い。

 

こうして日本はアジアの窓口として

貿易国としての地位を確立する。

近代国家への脱皮も産業革命も

当然、アジアで最も早かっただろうが、

それは信長死後のこと。

 

信長生存中に達成できるのは、

この辺りまでではなかろうか。

勿論、妄想だが、根拠のある妄想である。

 

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