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2010年3月23日 (火)

人のつながりが創り出す何か

広漠とした原野に積まれた石がある。

荒々しい自然の中に暮らした騎馬民族が残したものだ。

厳しい環境の中では、生活に必要な全ては得られず、

襲撃による略奪に依らねばならなかった。

そこには食料や衣服はもとより、労働力や女性まで含まれた。

 

「天高く馬肥ゆる秋」

秋になると騎馬民族がやってくる。

中国の人々はそう言って襲撃に備えた。

襲撃に行く人々は一人一個ずつの石を積み上げて出発した。

無事に戻ってきたら、一個ずつ石を拾う。

残された石は、戻ってこなかった者のものだ。

 

文字を持たない人々だったから、

石ころの主がなんという名でどんな人生を歩んだのか、

知る由もない。

全ては一つひとつの石ころに秘められている。

 

しかし、彼らが残したものは石ころだけではない。

荒野を離れて定住した彼らは多くの国を作った。

清、ムガール帝国、サファビー朝ペルシャ、オスマン帝国・・・

古くはクシャーナ朝インドだが、

その影響は日本にも色濃く残っている。

 

アレクサンドロスが遠征の途上に残した

ギリシャ人の町でヘレニズムが生まれ、

クシャーナによって仏教と合体した。

仏像に後光が差し、火祭りが行われるのはその為だ。

彫像はギリシャ、火はゾロアスターの神である。

 

ギリシャ彫刻とペルシャの神を最初に結び付けたのは誰か

そんなこと誰も知らないし分からない。

それを真似して仏像を作ったのが誰なのかも。

無名の人々のつながりが生み出したものなのだ。

石ころの山と同じである。

 

電気を作る人がいて保守管理する人がいる

だから夜明るく過ごすことができる。

それが誰かは知らないし、歴史に名を残すこともない。

だが、結果として生み出されたものには

きっと価値のあるものがある。

 

機械や建築の優れた設計図も偉大な文学や楽譜も

光なしには生み出されなかったかもしれない。

それぞれが個別に存在するものではないとしたら

無名の個人の集まりが、つまり、

石ころの山こそ歴史そのものだ。

 

たくさんあるブログも同じこと。

ひっそりと個人の引出しにしまわれるものではないから

誰かに何かの影響を及ぼすこともあるだろう。

石ころほど長く後世に残らないだろうが、

少なくとも情報量はそれより多い。

 

個々のブログそのものより、

それらが集まって創り出す何かに価値があるとも考えられる。

下らない個人ブログでも、

ティッシュペーパーくらいの役割は果たすに違いないし、

それで良いではないかと思う。

 

天才ではないのだから、

不滅の名作を残そうなどとと力む必要はない。

人のつながりは無意識のうちに有形無形の影響を後に残す。

当ブログも、石ころの一つで充分である。

 

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