色褪せることない豊かさと心の原風景
突然、古いセピア調の記憶が甦ることがある。
子供の頃住んでいた街は
海と山に挟まれた狭い土地に
狭い道路を挟んで木造家屋がひしめく
日本的風景の古典のような所だった。
海で貝を採り、道すがら葱を抜き(他人の畑から)、
家でそれを御母上に調理してもらっていたという
眞鍋さんの地元と少し似ているかもしれないが、
田畑がなかったので多分、もっと狭い。
縦長のお椀を伏せたような山の上には神社があり、
麓から一直線に長い階段が伸びている。
拝殿は既になく、石の土台や灯篭が残っているだけだが、
山の上にぽっかり開いた空間はいい遊び場であった。
ある日、神社の背後に巨大なコンクリートの建造物が姿を現した。
「あんな山の中に何故?」と子供心に思った。
駅前から山に向かって新しい道路が作られたことに気付いて、
建造物の正体を確かめてみることにした。
どこの好き者が山にあんなものを作ったのか見てやろう
・ ・ ・ そんな気持ちだったのだが、
道を上り、トンネルを抜けてみて、これは夢かと驚愕した。
なんとそこには新しい町が広がっていたのだ。
山の中にぽつんと一棟、という状況を想定していたのに、
現実はそれとは大違い。
道路も広く、見渡す限り高いビルが並んでいる。
自分が住む下界とは段違いの広大さだ。
思い返せば新しい道路はかなり立派なもの。
たかが一棟の建物の為ではなく
宅地造成であることは想像できたのだが、
7~8歳のガキにその知恵はなかった。
それから数年を経ずして、今度は丘の上の小学校から
海が見えなくなったことに気付かされた。
海苔の養殖が行われていた遠浅の海岸に、
新しい道と鉄道が敷かれ工場が建った。
その土地を去ってから5年後、
再び訪れた時にはそこに高層ビルが林立し、
明らかにそちらが中心地となっていた。
他方、昔の街は人影もまばらに侘しい変貌ぶり。
さらに10年後に訪れた時には、
最寄り駅の上からいくら仔細に眺めても、
記憶に残っているものは何一つ見出せなかった。
あの街に、もう思い出はひとかけらも残っていない。
石で町を造った国々と違い、
京の都も江戸の町もしばしば大火や戦乱で消失し、
その度に新しい町が築かれた。
生きとし生けるもの必ず滅びるもののあわれの世界である。
だが、当時のままに残そうと努力されてきたものもある。
創建当時の姿を保っているのは唐招提寺だけではない。
遺して欲しいもの、遺さねばならないものもあるのだ。
それは人々の心の拠り所となる原風景でもある。
豊かさをカネと捉えれば都会であろうが、
広い空と緑の世界にも、見方を変えれば別の豊かさがある。
瀬戸内の海と田園と山に囲まれた眞鍋さんの原風景。
それはまだセピア調でも色褪せた過去にもなっていない。
眞鍋さんの中に育まれた心の豊かさも
だから決して色褪せることはないのだろう。
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コメント
私も、「時代が移り変わっても、失わないもの」を、持ち続けていきたいです。
眞鍋さんの様な豊かな心を持ちたいです。
投稿: かずべえ | 2009年9月30日 (水) 20:30
仰るとおり、同感です。
投稿: KenNagara | 2009年9月30日 (水) 21:28