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2009年9月30日 (水)

色褪せることない豊かさと心の原風景

突然、古いセピア調の記憶が甦ることがある。

 

子供の頃住んでいた街は

海と山に挟まれた狭い土地に

狭い道路を挟んで木造家屋がひしめく

日本的風景の古典のような所だった。

 

海で貝を採り、道すがら葱を抜き(他人の畑から)、

家でそれを御母上に調理してもらっていたという

眞鍋さんの地元と少し似ているかもしれないが、

田畑がなかったので多分、もっと狭い。

 

縦長のお椀を伏せたような山の上には神社があり、

麓から一直線に長い階段が伸びている。

拝殿は既になく、石の土台や灯篭が残っているだけだが、

山の上にぽっかり開いた空間はいい遊び場であった。

 

ある日、神社の背後に巨大なコンクリートの建造物が姿を現した。

「あんな山の中に何故?」と子供心に思った。

駅前から山に向かって新しい道路が作られたことに気付いて、

建造物の正体を確かめてみることにした。

 

どこの好き者が山にあんなものを作ったのか見てやろう

 ・ ・ ・ そんな気持ちだったのだが、

道を上り、トンネルを抜けてみて、これは夢かと驚愕した。

なんとそこには新しい町が広がっていたのだ。

 

山の中にぽつんと一棟、という状況を想定していたのに、

現実はそれとは大違い。

道路も広く、見渡す限り高いビルが並んでいる。

自分が住む下界とは段違いの広大さだ。

 

思い返せば新しい道路はかなり立派なもの。

たかが一棟の建物の為ではなく

宅地造成であることは想像できたのだが、

7~8歳のガキにその知恵はなかった。

 

それから数年を経ずして、今度は丘の上の小学校から

海が見えなくなったことに気付かされた。

海苔の養殖が行われていた遠浅の海岸に、

新しい道と鉄道が敷かれ工場が建った。

 

その土地を去ってから5年後、

再び訪れた時にはそこに高層ビルが林立し、

明らかにそちらが中心地となっていた。

他方、昔の街は人影もまばらに侘しい変貌ぶり。

 

さらに10年後に訪れた時には、

最寄り駅の上からいくら仔細に眺めても、

記憶に残っているものは何一つ見出せなかった。

あの街に、もう思い出はひとかけらも残っていない。

 

石で町を造った国々と違い、

京の都も江戸の町もしばしば大火や戦乱で消失し、

その度に新しい町が築かれた。

生きとし生けるもの必ず滅びるもののあわれの世界である。

 

だが、当時のままに残そうと努力されてきたものもある。

創建当時の姿を保っているのは唐招提寺だけではない。

遺して欲しいもの、遺さねばならないものもあるのだ。

それは人々の心の拠り所となる原風景でもある。

 

豊かさをカネと捉えれば都会であろうが、

広い空と緑の世界にも、見方を変えれば別の豊かさがある。

瀬戸内の海と田園と山に囲まれた眞鍋さんの原風景。

それはまだセピア調でも色褪せた過去にもなっていない。

 

眞鍋さんの中に育まれた心の豊かさも

だから決して色褪せることはないのだろう。

 

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コメント

私も、「時代が移り変わっても、失わないもの」を、持ち続けていきたいです。
眞鍋さんの様な豊かな心を持ちたいです。

投稿: かずべえ | 2009年9月30日 (水) 20:30

仰るとおり、同感です。

投稿: KenNagara | 2009年9月30日 (水) 21:28

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