グルジアの北に住むおかしな人々
国内のアルカイダ掃討を機に多額の軍事援助を得て新米国家となったグルジアと、原油バブルをバックに大国主義復活路線を強めるロシア。
両者の駆け引きで、ロシア軍は一応、「グルジア」からは撤退。だが、南オセチアには軍勢を残すとか。
南オセチアはグルジアの自治州のはずだが、いつの間にか「大統領」なんてのも担がれていて、独立国として振舞っている。
だが、戦争を始めたのはグルジアの方である。
どうなることやら
気になるのはグルジアの北、クバン川流域に住む人々の事。
分離独立派の中に、彼らが混じっている様な気がしてならない。
クバン川流域は、革命前まではコサックの土地だった。
とは言え、ドン・コサックの様に500年にわたって住み続けていた訳ではない。
かの地にやってきたのは、日本が明治維新で騒いでいる頃。
それまではウクライナにいた。
ゴーゴリが小説「タラス・ブーリバ」で描いたザポロージェ・コサックの末裔である。
イヴァン雷帝と軍事協定を結んでロシアと接近したドンと異なり、ウクライナのコサックはロシアのライバル・ポーランドの傘下に入った。
だが、自由気ままな生活を好む人々は分離してザポロージェとなった。
次第に皇帝の私兵化していったドンと同様、ウクライナのコサックも大アタマン(頭目)フメルニツキの時代にロシアに接近してゆくのだが ・ ・ ・
ザポロージェの気ままは一貫している。
雷帝死後の混乱期、ウクライナ・コサックはポーランドに、ドンはロシア側につくが、ザポロージェは「偽ドミートリー」(御落胤)をでっち上げて暴れた。
クリミア戦争の折には、エンゲルスに「最も恐るべき敵」、「世界最強の軽騎兵」と持ち上げられながら、
「はなはだ信用ならない」
などと言う但し書きを付けられた。
そんないきさつもあって、皇帝からコサックとしての特権を剥奪されるのだが、一部はドンに合流したものの、残りはトルコ領に進入。
勝手に自治領をでっち上げて暴れだした。
これが、露土戦争の誘引ともなるのだが、この戦争に勝ってしまったロシア皇帝は、彼らの「功績」を認め、新たに土地を与えた。
それがクバン川流域である。
革命の際には、赤軍でも白軍でもない「緑軍」などと言うものをこれまたでっち上げて暴れたりしたが、結局、ソヴィエト政権によって特権を奪われてしまう。
ところが、ソヴィエトが崩壊すると、軍の施設を襲って勝手に再武装を始めた。
何処までも勝手な人々である。
だが、さすがに公認暴力団と言うのは時代遅れである。
その為か、世界各地の紛争地域に「義勇兵」を派遣し、武装集団としての存在感を高め、認知させようと試みている。
グルジアにもいそうである。
クバン川流域を与えられたのも、トルコ領だったグルジア、アルメニアへのロシア侵攻の足がかりだったし。
コサックの起源には諸説あるが、モンゴル帝国時代、現地で召集され、鍛えられた騎馬軍団が野生化したものと考えたら手っ取り早い。
本来持っていた自由気ままさ(コサックはカザーク=自由の人が語源)は魅力だが、
戦争と離れられないのは悲しい。
小生、ちょっかいを出された事はあっても、自分から仕掛けた事はない。
忍耐を超えれば自衛するが、悪質でない限り最小限である。
人の価値観を認める代わりに、自分も自由。
自分のテリトリーで楽しんでいれば平和である。
*握力の低下により、書棚から書籍を取り出すのも困難を伴う為、当記事は全て記憶のみを頼りに書いた。細部に間違いがあるかもしれないが、概ね合っていると思う。
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