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2008年6月17日 (火)

眞鍋さんの振り子

「高原兄の喜ぶ顔が見たいよ」「富山で死んだ言われとったのに」

「クイズ紳助君」での紳助 (カシアス島田)氏、羞恥心の大ブレイクに大喜びだ。

上地雄輔君は、収録中も新曲の歌詞を覚えるのに必死でクイズに身が入らないとか。

しかし、

世の中、振り子のようなものである。

どちらか一方に振れれば、必ず反対側に同じだけ揺り戻される。

高原兄氏など、その振幅は恐ろしく大きい。

それも一つの生き方だが、その場限りの付き合いしか出来ない。

人生の友にはならない。

それが、一発屋製造番組をあまり好まない理由だ。

それに比べ、眞鍋さんの振り子は振幅があまり大きくない

仕事の内容に変化はあったけど、少なくとも外から見ている限り、それほど大きな揺れはなかった。

「深く考えない」「浅い」「流されてきた」 ・ ・ ・             眞鍋さんの自己評価はとても謙虚だ。

ところが、書かれたものを読むと、そうとは思えない事柄がふんだんに記述されている。隠れた努力と試行錯誤と ・ ・ ・ 

「深い」か「浅い」かの基準値は人によって違うから、これは感じ方の違い。私的にはちっとも浅いと思わない。

テレビの眞鍋さんを見ていると、何かテーマを持って番組に臨んでいるのでは ・ ・ ・ と、感じることが時々ある。なんとなくやりたいことが分かることもあれば、?で終わることもあったり。

ただ、ハッキリと感じるのは、背伸びもしなければ萎縮もしない独特のナチュラリティに込められた確かな意志。ただ、惰性に任せて流されているのではない。

振り子に大きな揺れはないけれど、

軸が少しずつ動いている。

目立った揺れがないのに、仕事が増え続けているのはそうした積み重ねの結果に違いない。

きっかけを作ったのはブログだけど、今はそれに頼っていない。

だから、ブログの位置づけも以前とは違うはず。

やめてしまう事も考えたと言うけど、それは困る。

眞鍋さんが新しい地平を切り拓こうとしている時、

共に喜びを分かち合いたいと思っているのは

間違いなく、私だけではないはずだから。

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